音楽留学体験者でなくては分からないような、音楽大学、音楽専門学校、音楽教室のコースプログラム、現地の生活情報などを伺ってみます。将来の自分の参考として活用してください。
花岡由裕さん
長野県出身。幼少からピアノを始める。国際基督教大学卒業。国際基督教大学在学中よりグリークラブ指揮者。ニューヨーク・マネス音楽院合唱指揮科在学中。
(インタビュー2005年10月)
ー 花岡さんの今までの簡単な経歴をご紹介頂けますか?
花岡 高校までは普通に地元の長野の高校を出て東京の国際基督教大学に進学したんです。その国際基督教大学というのが、いろいろな分野を幅広く勉強するところでした。人文科学学科の音楽学専攻でしたが、パフォーマンスクラスが無く楽典や歴史の勉強をしました。それと共に大学のグリークラブの指揮者を2年間勤めたんですね。それがきっかけになって本格的に音楽の指揮を勉強したくなって留学を目指しまし た。留学の準備を1年くらいしてから挑戦したんですけど、英語力が足りなくてその年は駄目になってしまいました。
ー それはご卒業後に?
花岡 卒業後です。その後、1度実家の長野県に戻りまして、知的障害者授産施設の事務員を1年弱勤めました。その時は音楽だけに興味があったわけではなくて、いろんな事をやってみたいと思っていました。障害者施設でずっと働いていくのも選択肢として考えていましたが、やっぱり音楽をもっと勉強して仕事として音楽をやっていきたいという思いが強くありました。それでその年の12月直前に仕事を辞めてアメリカに来たんです。渡米前に色々と調べたんですが、ニューヨークで合唱指揮を専門にやっている学校が音楽大学だと今僕が通っているマネス音楽院にしかなかったんです。それで様子を見るために訪れて雰囲気が良かったので受験の手続きをしに来たのが12月の頭です。それでオーディションが2月の終わりだったんですね。その間に幸運にもマネス音楽院でエクステンションディビジョンという一般公開している授業をとることができました。そこで必要な授業を受けながら英会話学校に行って、英語力の向上をはかりました。その結果オーディションで合格することができました。
ー 今は何年生ですか?
花岡 今は大学院の1年ですね。僕はちょっと変わった受け方をしたんです。最初は大学の3年に編入という形で。というのもちょっと英語力に不安があったものですから。大学院だとより高度な英語力が必要でしょう?特に指揮科だと人前で話さなければいけないので。とりあえず受かることが先決と思い、そういった選択をしました。けれども一度国際基督教大学で学士課程は取っているものですから2年大学に通って卒業する必要は無いと判断し、1年後大学院のほうに編入しました。
ー というとマネスのほうで勉強なさっているのは2年目ということですか?
花岡 そうですね。二年目です。
ー 今お話伺っていてオーディションを受けられたということですけれども、マネス音楽院のオーディションって難しそうだなと思ったんですが、これはどういうことを具体的に行うのですか?
花岡 まずオーディション自体が二日間に分かれています。一日目は基礎的な音楽能力を試されるんです。聴音や譜読み初見能力、ピアノ技術、音楽理論など、基本的なことがどれくらい出来るかを1日目に試験します。
ー セオリーは筆記でやるんですか?
花岡 セオリーは筆記ですね。あと英語のテストも一日目にありましたね。音楽の基礎用語をどれくらい英語で理解できているか等、授業をしていく上で差し支えの無い英語力があるかどうかを試されるんですよ。一日目で問題がなければ二日目の実演オーディションに進むことができます。僕の専攻は合唱指揮ですので、学校の合唱団の指揮を振りました。課題曲が3曲と自由曲が1曲です。20分間の中でその四曲を振って練習させるわけです。どのような指導をするか、音楽をちゃんと理解できているのか、リハーサルで何を達成できたかを三人の審査員によって審査されます。それとは別に担当教授と1対1で面接を行います。彼には色々な質問と要求をされましたね(笑)。「どういうことを考えながら振ったのか」、「この場面で音楽はどうなっているか」とか、分析もさせられました。「実際に声部を歌ってくれ。」と言われたり、「4パートあるうちの3パートをピアノで弾いた上で残りの1パートを歌いなさい。」とか。
ー 難しそうですね。
花岡 そうですね。難しかったですね。 それで会議を何度も開いた後、二日間の総合的な評価によって、合格者が決まるそうです。後日聞いた話ですが。
ー 実際同じ科で何人位いらっしゃるんですか?
花岡 大学と大学院合わせて5人ですね。中には2つ以上の専攻の人もいます。例えば歌と合唱指揮や作曲と合唱指揮などですね。
ー 花岡さんは指揮だけですか?
花岡 そうですね。僕は合唱指揮のみですね。
ー なるほど。こんな難しそうな試験をどういうふうに対策していたのですか?
花岡 先ほどお話しましたが、受験する前にエクステンションプログラムで勉強していたので、担当教授の指揮のレッスンを受けることが出来ていました。それでオーディションの課題曲は既に発表されていたので、その曲をレッスンに持っていくことができました。そして学校にいることで友達が出来てきたというのが大きかったですね。指揮は演奏者達といかにつながるかが重要ですから。他の受験生はまるっきり初めて会った人たちを教えなければいけないわけですからね。僕は彼らよりもリラックスして振ることができたのではないかと思っています。
ー 同じように指揮科に行きたいという人がいた場合は、そういうエクステンションプログラムを必ず受けたほうがいいということですかね?
花岡 必ずしもそうとは言えないとは思いますが、緊張して自分の力が出せないというのはマイナスですからね。人によってはその場に行って、すぐ雰囲気をつくれる人もいると思うんです。けれども事前に先生が音楽のどういうところを重要視するかとか、それで合唱団のレベルもどれくらいかということを分かっていたほうが準備はしやすいですよね。『オーディションの時にどういうことを言おうか』等、要するにプランが立てやすいわけですから。そういうプログラムがあればとってみることはプラスだと思います。
ー それはだいたい2ヶ月前に行かれて受けたという感じだったんですか?
花岡 そうですね。大体2ヵ月半くらい前に行って準備しました。実は大学滞在中に一度日本から受験したこともあったんですが、アメリカと日本ですから書類の手続きや郵送にものすごく時間がかかるんですよね。それでその年一次試験は受かったけれど、二次試験が受けれないといったハプニングがありました。オーディションの課題曲が何かという連絡を受けられず、郵便で送ってくれたんですがそれが着いたのがオーディションの3日前くらいでした。楽譜が手に入っていないくて準備もできていないのにアメリカに行くわけにはいかないじゃないですか。その後も連絡して「何とか受験日を変えて欲しい」と頼みましたが無理でした。それからやっぱり日本で準備して3日前くらいに行ってオーディションというのは日程的に辛いし、土地感も分からないし、英語も慣れないしというので精神的に疲れ果ててしまうと思うんですね。前年の経験もあったし早めに来てその土地に慣れて、英語も多少しゃべる習慣をつけて、心の準備をすませてから受けたかったので早めに来ることに決めました。
ー なるほど。それでばっちり成功したわけですね。
花岡 そうですね。心の準備と音楽の準備のおかげで緊張せずにすみました。
ー 日本でもずっと合唱団の指揮なさっていたり、小さい時からピアノをなさっていたのですか?
花岡 ピアノは小さい時から習っていました。それから歌にも興味があって。中学、高校時代にも合唱をやっていたんですよ。その時は指揮は振っていませんでしたが歌うことが好きでした。大学になって初めて指揮者をやって、はまっちゃいましたね。
ー どの辺が指揮をやっていて楽しいところですか?
花岡 色々な楽しみや喜びがあると思うんです。例えば練習をやっていてみんなと一体になって音楽をしていると思える瞬間があるんですよ。合唱団の全体対指揮者の関係ではなくて、指揮者と歌い手一人一人の関係と、歌い手同士の1対1の関係を感じられるような。それぞれ一人一人が表現しあって音楽がぶつかりあって本当に大きな渦ができる。歌うことを彼らがとても楽しんでいるのが分かる。そうするとどんどん音楽がいい意味で変わっていくのが分かりますね。それから僕自身、指揮を振っていてかなり快感ですね。大学のグリークラブでは春と秋、毎年2回のペースでコンサートを行っていたんですが、秋のコンサートは有料 だったんですよ。たかだか400円か500円位の入場料でしたが、ホールが満員になった時があって。
ー すごいですね
花岡 600人くらいお客さんが入ってくれたことがあったんです。人数が入ってくれたことだけじゃなくて、その時のコンサートでは練習もたくさんしたおかげもあって、音楽を心から楽しめたんです。コンサートまで沢山練習をしていくと、どうしても『ここではこうしなきゃ。』というのが出てくると思うんですけど、そういう限られた音楽を作り出そうとするんじゃなくて、そこにいる観客の皆さんと歌い手たちと一緒に新しい音楽というかをつくりだせた気がしたんです。音楽というのはその場、その場、その時、その時でしか出来ないものなんだと深く感じました。それですべてのステージが終わってアンコールが終わったあとに、観客の皆さんがものすごい拍手をして下さいました。本当は2曲でアンコールをやめるはずだったんですけど、急遽もう一曲やろうということになって、予定を無視してやってしまいました(笑)そういったことを含めてみんなの気持ちが高まって、音楽を中心にホールが一体化した感覚を覚えました。それこそ快感としかいいようのないような。指揮者が主役というわけではないんだけれども、指揮者は歌い手と観客の間にいるじゃないですか。
ー そうですね。
花岡 だからその雰囲気に包まれているのが一番分かる場所だったと思うんですよね。歌い手たちの表情を見るのも楽しかったし。お客さんの顔を指揮が終わって振り向いてみたときに本当に喜んでくれているお客様とか、必死に拍手をしてくれているお客様とかを見て『これ以上の幸せはないな。』と思いました。『ああ、これはやめられないな。この感動を何度もというかもう一度味わいたい。』と思って。
ー 音楽の醍醐味を知ったのですね?
花岡 そうですね。コンサートを通じて、日本ではクラシック音楽というと壁があるというか敷居が高いといわれていて、僕もそう思っていたんですが、本当はとても近くにあるんじゃないかと思いなおすことができました。どんな人にも来てもらって楽しんでいってもらえるよう音楽をもっともっとしていきたいと思ったし、音楽の敷居を下げてもっともっといろんな人に音楽の喜びを知って欲しいなと。特に歌の場合はほとんど誰もが持っているじゃないですか、声って。だからよりたくさんの人に触れて、その喜びを伝えることが出来るかなと思って本格的に勉強しようと思ったわけです。
ー 実際に勉強なさって苦労する点とか、難しいなという事はやっぱりあるものですか?
花岡 そうですね。やっぱりアメリカで勉強しているので最初は言語の問題が難しくて。「音楽には言葉はいらない。」といったこともよく聞きますが、やはり指揮者として練習を進めなきゃいけなかったり、歌い手たちと良い関係性をつくりには言葉は必然なものですからね。そのコミュニケーションがうまくいかなくて歯がゆい思いをした時がありました。それから指揮を振りながら、どうしても指揮が音楽と隔離して数学のようなものになってしまうと感じることがあるんです。要するに機械的になってしまって、どうしても自分の感情と結びつかないというか。拍や各パートの入り、強弱ははっきり振れていて分かりやすくても、音楽的には全然表現出来ていなかったり。いかに自分の腕、顔、全身を使って音楽を表すか。もちろんそれだけじゃいけないんですけれども、それが出なかったら指揮を人間がやっている意味があまり無いじゃないですか。僕がやっている意味というか。ただの拍とりに終始するだけだとむしろ指揮者がいないほうがいいことも出てきますし。指揮者としていかに演奏者達に影響を与えて彼らから音楽を引き出すかというのは、ずっとこれからも試行錯誤していくのだろうなと思います。それから、授業について。普通の授業は英語が分かってくるにつれてだいぶ楽になってきたんですけれども、理論の授業で日本ではあまり勉強されていない対位法が必修なんですね。ルネサンス時代やバロックなどの音楽は主にこの対位法という理論をもとに書かれていたんですけども、この勉強を一から始めたので、周りの生徒に追いつくのが大変でしたね。僕は日本で音大を出ていないので基本的な能力が他の人より劣っていたと思うんです。その能力をまず上げていかなければと思い、最初の1年間は基礎能力の向上と英語力の向上を中心にやって、何とか授業についていけるという形でしね。でもやっぱり毎日続けていると効果は出てくるもので、だんだん最初は追いつこうとしていたものが、いつのまにか他の人よりうまく出来ていたりするんです。そうすると毎日続けることがすでに習慣になっているから、それからは余裕をもって授業にのぞむことができています。事実、プロの音楽家の方たちは毎日10 時間以上練習をしているそうですから、まだまだ僕なんて甘いのかもしれませんが。
ー 練習というのは具体的にはどういうことをなさるんですか?お家で鏡を見ながらとか?
マネス音楽院にて
花岡 指揮の練習はですね。まず振る音楽の分析をするんですけれども、その曲が例えば合唱曲だったら歌詞がついているじゃないですか。基本的にその歌詞の読み方と歌詞の意味を調べて理解して、それがどういうふうに音楽と結びついているかを楽譜から読み取る作業をします。作曲家の意図というか、彼らがどういうふうに歌詞を解釈して音楽に表現しているか。それから楽曲分析ですね。どんなハーモニーが使われているか、どういう和声進行になっているか、どの旋律が重要なのか、どこで場面転換が行われるか等々。そういう分析をして、それから各声部を良く知るためにそれぞれの声部を歌ったり、ある声部を歌いながら他のパートをピアノで弾く練習をします。だからまずコーラスの練習に持っていく前にもうすでに音楽を誰よりも知っていなければいけません。練習のときにはすでに頭の中で音楽が鳴っていて、間違っている部分を指摘したり、自分がどういう音楽をつくっていきたいのかを伝えていくわけです。あと担当教授との個人レッスンでは教授がピアノを弾いてくれて、それを指揮しますね。それで先生がアドバイスをくれるわけです。自分では気付けなかった音楽的な解釈を気付かせてくれたりします。僕の担当教授は生徒自身に良く考えさせる人で、よく「何を考えて振るのか」とか、「何を感じるのか」という指摘をうけます。そのおかげで合唱団の前で振る時には自分らしさ、自分の音楽を表現できるようになってきます。
ー 本当に下準備がすごく大事ということですね。合唱団の人と一緒にやる時というのは学校の方ですか?
花岡 毎年オーディションが行われて、学校の歌専攻の生徒たちで合唱団を形成しています。各パート4人程ですから全体で15人くらいですかね。合唱団の規模としては決して 大きくないんですが、各歌い手が1人1人プロになりたいと思ってやっているから、すぐにうまくなりますね。時間があまりないのですが、練習のつけ方しだいで、あっという間に曲ができたりもするので、そこは 指揮者の腕の見せ所といったところですかね。
ー 曲はご自分で選ぶのですか?
花岡 昨年は自分で選べたんですが、今年は教授が決めましたね。いくつか曲をピックアップして、その中で自分がこれを振りたいというのは一応希望はとったのですが、他の生徒とやりたい曲がかぶってしまって、希望通りにはいきませんでしたね。
ー 今はどんな歌を勉強していらっしゃるんですか?
花岡 今は“グリーンスリーヴス”で有名なイギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムスの曲や、ヴォルフという歌曲を沢山作曲したドイツの作曲家、モンテヴェルディというイタリアバロック時代の作曲家などの曲を勉強しています。時代がかたよらないように、言語がかたよらないように教授が選んだようです。
ー なるほど。時代が違うと指揮の仕方も変わってくるものなのですか?
花岡 そうですね。やっぱり音楽が違うし、何を重要視するかも変わってきますよね。時代によって、さまざまな演奏法のきまりもあるのでそれも勉強しなければいけません。
ー いろいろな言葉の曲をなさると、当然語学も勉強しなきゃいけないのでしょうね?
花岡 そうですね。合唱指揮者は当然必要になってきます。言語を知らないと指導できませんからね。ただ意味を知るだけでなくて、その国の言語独自の響きをしることも重要です。言葉と音が一致して曲が成り立っているわけだから、言語の響きを知らないと作曲家の意図が全然つかめなかったりするんですね。自分でしゃべって聞くからこそ深い意味があると思います。
ー 大変ですね。
花岡 そうですね。といっても何十もの言語を勉強するわけではないので。音楽を勉強する上で必須となっているのが、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語くらいですから。ドイツ語とイタリア語が読むのは比較的楽ですが、フランス語は見ただけでは読めませんからね。必死で勉強しなきゃません(笑)。それでも言語というのは決して暗号ではなくて、音楽や文化と結びついているわけですからそれを知ることが面白いですね。そういう意味ではそれほど負担に感じたりはしませんね。
ー 今ニューヨークにいらっしゃるわけですけども、マネスしか合唱指揮科はないということだったのですけれど、他の国は全く考えなかったんですか?
花岡 そうですね。ドイツとかフランスとかやっぱりヨーロッパが中心じゃないですか、クラッシック音楽は。そこへの留学も考えないことは無かったんですよ。学費はヨーロッパのほうが断然安いですしね。ただなぜアメリカを選んだかと言うと一つは言語の問題ですね。ヨーロッパに行くと英語が通じるとしても当然現地の言葉を勉強しなきゃいけないから、そうなると最初の1年間は言語を勉強することで手いっぱいになって音楽に身が入らないのではないかと思ったことがあります。そうすると留学滞在期間も長くなってしまい、その分負担がかかるのでは、と考えました。最近クラッシック音楽を勉強するのも中心、つまりはいい先生がヨーロッパからアメリカに移ってきている、という噂を聞いていたせいもあります。それからヨーロッパというとどうしても内的、国にもよると思うんですけど、その国の文化の伝統を重要にして古来のものをというようなイメージが強かったんですよ。けれどアメリカ、特にニューヨークはいろんな文化や民族が交わっている所ですし、いろんなものが入ってきているし。音楽で言ってもクラッシックだけではなくて、ジャズにしてもロックにしても沢山のものが集まっている。音楽の勉強をする事というのは、人間を勉強することに等しいというか、音楽は人間が作ったものだし、いろんな人達と触れ合うことで音楽を勉強し解釈していく上でここは自分の感性を磨くというか、人間性を磨くうえでもいい環境だと思ったんです。といってもクラシック音楽が決して軽んじていられているわけでもない。カーネギーホール、ジュリアード音楽院等、世界のトップの音楽ホールや音楽大学がニューヨークにあって、チャンスも十分この国では与えられているんです。学業的な面で言っても、アカデミックな勉学、つまり基本的な音楽を勉強するのはアメリカはしっかりしています。大学の体制がしっかりしている。ヨーロッパだと技術的で音楽的なことは学ぶけれども、基礎的な勉強がアメリカほど体系化されてはいないと思うんです。僕は音楽の基礎的な能力のレベルアップとより多くの知識を得ることが必要だと思ったので、全体的に考えてアメリカがベストかなと思いました。
ー 実際ベストだったということですか?
花岡 他の国に行った事がないので比べようがないですけども、そうですね。新しい音楽もここでは作られているし、数多くの素晴らしい演奏会に行くことも出来るし、いろんな人がいるし。そういった意味で本当に刺激になっていますね、ここにいることは。ニューヨークはみんながI,I,Iと言います。自分が出て行かないとどうにもならないというか。たくさんの人の中で自己主張をしていかないと埋もれてしまいますから。他人を思いやる気持ちも必要だけれども、この中でどう自分をアピールしていくかをよく考えさせられます。そうしないとすぐに他から遅れをとっていってしまう所ですから。自分の考え方や行動が、ここへ来て変わってきたなと感じます。
ー 最初に皆さんにお話を伺うと、最初の3ヶ月とか4ヶ月は苦しんだというふうに伺うんですけど、そういうのを乗り越えて成長したという感じがご自分の中でもありますか? それとも、そんなに最初から苦労してなかったですか?
花岡 最初ニューヨークに来た時に知り合いがほとんどいなかったんです。知り合いにこっちの人を紹介してもらったけれど言語は思うように聞き取れないし通じないし、でも自分で知り合いを作ってかなきゃいけなかったんです。それでも英語に慣れるために、日本語をしゃべらない環境をつくりました。アメリカ人のみの合唱団に参加したり。最初はまあ孤独に感じて寂しく感じることもありましたけれども。やっぱりそういった期間は必要だったと思いますね。それでも自分が好きなことをやっていたから辛さよりも楽しさや希望のほうが大きかった気がしますね。僕は日本にいたときは親にしろ友達にしろ頼りすぎていたきらいがあったから、良い機会にもなりましたね。自分ひとりで動いて生活して誰も頼る人がいない。自分の新しい一面を知れて、充実した毎日を過ごしているなと自覚できましたね。最初の3ヶ月間くらいは特に。
ー 今はすっかりそちらの生活にもなれて楽しくやっているのですね。
花岡 そうですね。コミュニケーションがだいぶ普通に出来るようになってきたので、日本での学生時代のように楽しんでいますね。それにアメリカの学生のほうがストレートに物を言うのでそれが心地よかったりします。建前がなく交流できることが嬉しかったですね。
ー 学校の授業はだいたい週に何回くらい行かれているのですか?
花岡 月曜日から金曜日までの五日間ですね。
ー 日本の学校みたいに朝から晩まで?
花岡 そんなことはなくて、日によっては2時間程で授業が終わる日もありますし、朝九時から五時まで立て続けに授業という日があったり。日本の大学と比べたら少ないかもしれません。人によってもちろん違うんですが僕の友達は1週間に3日間くらいしか来ないという人もいるし。
ー そうすると、宿題が結構あるのですか?
楽譜を研究中!
花岡 宿題は結構ありますね。こちらは日本とは比べ物にならないくらい(笑)。毎日の勉強の半分くらいが宿題。ピアノの練習や指揮の準備をもっと練習したいんだけれども、宿題で結構時間がたってしまったりするんですよ。本当毎日毎日宿題におわれているというのが正直なところです。
ー それはまったく譜読みなんかとは別な宿題が出ているのですよね?
花岡 そうですね。理論の宿題や分析など様々ですね。それから譜読みの授業自体もあるんですよ。オーケストラや弦楽四重奏等の楽譜を見てそれをピアノで弾くんですがそれもかなり準備に時間が必要ですね。
ー じゃ結構ピアノにむかっている時間が多い?
花岡 そうですね。多いです。ピアノと楽譜がほとんどですね。
ー それはご自宅ですか?
花岡 学校でやることが多いですね。学校にはピアノがおいてある練習室がかなりの数ありますしね。
ー 一日何時間くらいピアノを弾いているんですか?
花岡 それも日によるんですけど3時間から8時間くらいまで。
ー 8時間!
花岡 それも授業があるとやっぱりそんなに時間が取れないことがあるのですが、休日はお昼に学校に行って学校が閉まる9時半〜10時半までとか。
ー 好きじゃないと出来ないですね。
花岡 そうですね。でも、ずっとやっていると疲れるので、休憩を入れながらやっていますね。まあ基本的には 楽しいからやっているんですよ。
ー 今学校以外にどこか合唱団の指揮をなさったりしているのですか?
花岡 僕の指揮の先生が振っている合唱団があるんですけれども、そこで歌い手として参加していて、たまに練習の時に「振ってみろ」と言われることはあります。彼はNY州の隣のニュージャージー州でも、合唱団を一つ持っているんですが、そこでも振らせてくれるようです。ただし自動的にコンサートで歌わなければいけないんですが。
ー 交換条件が。
花岡 ギブアンドテイクですね。
ー 来年2年生ですよね。その後はどういうふうに考えていらっしゃるのですか?
花岡 そうですね。日本に戻ろうと思っています。日本にはアマチュア合唱団が沢山ありますしね。東京と地元の長野の合唱団のいくつかを振れたらいいなと考えています。僕が日本でお世話になっていた指揮の先生が、「日本には沢山の児童合唱団や大学の合唱団、アマチュア合唱団はあるけれども、その橋渡しがない。小さい時からずっと音楽を勉強していけるような学校をつくりたい。」とおっしゃっていて、それのお手伝いが出来たらいいなと思います。
ー 面白そうですね。
花岡 そうですね。すでに長野県では何人かの知り合いと合唱団を作る話をすすめています。スケジュールやボイストレーナーの依頼等着々と準備はすすんでいます。僕が帰ったらすぐに合唱団が始動できるようになっています。最初は合唱団を振る機会が少ないかもしれませんが、いろんな指揮者の先生や合唱団を訪ねて団員として歌いながら下振りを続けていきたいと思います。その下振りによって認められていけるためにも今頑張らなくてはと思ってます。
ー 遠い将来なんだけれども近い将来みたいにいろいろ決まっていらっしゃいますね。
花岡 そうですね。でも見えない部分の方が多いので不安もありますが。
ー これからニューヨークにいられる間に更にどういうことを勉強していきたいですか?
花岡 出来るだけ多くの音楽にふれたいですね。アメリカは作曲家も沢山いますし、現代の曲がかなり演奏されているんですよ。フランスも多いと聞きますが現代曲が世界で一番演奏されているのはアメリカだと思うので、沢山聴いたり歌ったりしていきたいですね。それをやがては日本にも取り入れていきたいという思いもあります。今の担当教授が現代曲もけっこう振るのでレッスンでも教わっていきたいですね。現代曲以外でも絶えず音楽に触れる機会を作って自分の基礎能力を上げなきゃいけないし、自分のスタイル、得意分野を確立してそれを日本に戻ったときに売りとしていけるくらいにはしたいですね。
ー 毎日学ぶことが多いですよね。
花岡 そうですね。音楽だけでなくてアメリカにいること自体も勉強になっていますよ。
ー 日本で振っているときとアメリカで振っているときとやっぱり感覚として違うものですか?
花岡 そうですね。アメリカの演奏者は個が強い印象をうけますね。だから最初はあまりまとまらないんですよ。ただそのほうが面白い音楽が最終的に出来るのではないかなという感覚がしますね。日本の合唱団は割と最初にパッとまとまるんですけど、そこからがなかなかうまくいかない。演奏者それぞれが表現するまでいってないというか。枠組みを最初に作っちゃう気がするんです。こっちは枠なんてなくて、お互いがぶつかりあいながら音楽を作っていくのが振っていて楽しいですね。苦労もしますけど。
ー どういう点で苦労しますか?
花岡 そうですね。個が強くてぶつかったままというのは困りますね。歩み寄りがない場合。それぞれが自分の声を出そうとするから、音色がまとまらなかったりするんですよね。もちろん一人一人個性がある声でいいんですけれども、それをどう合唱団として、音楽として一つの方向性に持っていくか。やっぱり合唱で歌うのはソロで歌うのとはまったく違いますからね。個を尊重してそれぞれの歌い手を納得させて、それでも全体としてはまとまるようにうまく持っていくテクニックがいるんですよね。
ー すごい大変ですね。
花岡 でもやりがいはありますね。
ー 逆に日本だったら没個性というか一人一人が出てこないわけじゃないですか。それをどうするかというのがあるのですか? 例えば、もっと小さくまとまらずに自由にやりなさい見たいな。
花岡 そういうことは直接的でなくても言っていかなければと思いますね。日本では合唱団という大きな団体にいるとどうしても自分の存在が埋もれてしまう風に考えがちなので。僕が日本の大学時代、指揮者の時によくやっていたのは、アンサンブルですね。各パート二人くらいの少人数で歌わせていたりしたんです。そうすると自分がどう歌いたい、表現したいという事もはっきりしてきます。そのあと合唱に戻ると全体がかわってくるんですね。合唱団が50人いたとして、合唱というのは50分の1の感覚じゃいけないと思うんですよね。むしろ1×50で1の可能性がいっぱいあって、いろんな表現があって、答えが100にも 200にもなるようなそういうものを作っていかなきゃいけないと思います。
ー 何か面白そうなんだけど大変そうっていうのが伺っていて思うんですけど。でもやりがいはありそうですね。
花岡 そうですね。それをやりとげてコンサートで指揮を振り終わった時とか、本当に興奮でもう心臓の鼓動が聞こえるんですよね。快感ですよ。
ー 凄い。楽しそう。
花岡 はい。やりますか(笑)
ー あがり症なんでちょっと難しいと思います。
花岡 それの克服にもなりますよ(笑)
ー 今後留学を考えている方に花岡さんの方からアドバイスや気をつけたほうがいいと思うことがあればお願いできますか?
花岡 そうですね。まず言いたいのは「やりたいなら、とりあえずやってみろ。」ということですね。物事って何でも実際にやってみないと本当にどうなるかは分からないですから。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがずっと良いと僕は思います。僕もアメリカに来て、自分が何が足りないかが分かりました。それはまず動いた、アメリカに来たから見えてきた部分なんですよ。悩んでやらないで失敗しないよりやって失敗したほうが自分の糧になります。失敗したとしてもそれが次の成功につながります。僕も受験を失敗していますが、だからこそ学べたものが非常に大きかったです。最初は曖昧な道でも進んでみて、後でその道を進むためには何をどういうふうにやる必要があるか、その解決法を考察して作っていけばいい訳ですから。大きな目標、やりたいことに向かって恐がらずまずトライしていって欲しいということかな。英語にしてもやっぱり日本で勉強するのと、アメリカで勉強するのでは全然違いますからね。日々の生活の中で使わないと英語はなかなか身につかないですからね。日本のテストで高い点が取れても、こっちでは通用しないことばかりです。なぜなら日本の英語は日常では死んでいる英語だからです。最初が辛いとくじけてしまいそうになったりするかもしれないけれども,そういう時こそ、後になってあの時があったからと思えるはずです。死ぬほど勉強するとか死ぬほど辛いという時間こそ大切な時間だったと。だからもし本当に希望してやりたいと思うんだったら、ちょっとの事じゃ諦めないで欲しいですね。
ー なるほど。熱いですね(笑)
花岡 あと物事(手続き等)は何でも早め早めにやったほうがいいです。とってつけたようですが。
ー 今日は熱いお話をたくさんしていただいて、どうもありがとうございました。