大島莉紗さん/ヴァイオリン/パリオペラ座/フランス・パリ

大島莉紗さん/ヴァイオリン/パリオペラ座/フランス・パリ

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回パリ・オペラ座管弦楽団でご活躍中の大島莉紗(オオシマリサ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2009年12月)

ー大島莉紗さんプロフィールー

大島莉紗さん
桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学ソリストディプロマコース終了。文化庁在外派遣研修員として英国王立音楽大学大学院に留学し、フェリックス・アンドリエフスキー氏、トーマス・ツェートマイアー氏に師事。在学中、女性として初のユーディ・メニューイン賞をはじめ、ヴァイオリンにおけるすべての賞を受賞。ローム・ファンデーションなどから奨学金を受け、過去最高点の首席で卒業。第18回リピツァー賞国際ヴァイオリンコンクール入賞優勝などを始め、数々のコンクールに入賞。ルーマニア・モルドヴァ交響楽団、仙台フィルなどと共演他、音楽祭での演奏多数。2002年ドイツ・ラインランドファルツフィルハーモニー管弦楽団を経て、2003年パリ・オペラ座管弦楽団に入団。また、ロンドン・フィル客演首席奏者として、ロイヤルフェスティバルホールなどで定期公演などに参加。パリ・オペラ座を拠点に、ヨーロッパ各地で、ソリスト・室内楽奏者として多彩な活動を展開している。現在、パリ在住。

-まずはじめに、簡単なご経歴をお願いします。

大島  桐朋女子高校を卒業して、桐朋大学のソリストディプリマコースを修了したのち、イギリスのロイヤルカレッジの大学院に留学しました。その後、ドイツのラインランドファルツフィルハーモニーに入りまして、その後パリのオペラ座に籍を置いて現在に至っています。
-素晴らしいご経歴ですね。イギリスに留学しようと思ったきっかけは何だったんですか?

大島  イギリスにつきたい先生がいらしたので。フェリックス・アンドリエフスキー 先生という方でした。
-その先生とは、どうやって出会われたんですか?

大島  もともと留学したいとは思っていたんです。実は、最初、講習会で出会ったオーストリアの先生につきたいと思っていたのですが、その方がご病気になられてしまって・・・。なので、また探し始めたのですけど、たまたまその時期に、国際コンクールを受けたんです。そこで、同じコンクールを受けていた素晴らしい演奏をなさる方と出会ったんですけど、その方が習っているのが、アンドリエフスキー先生だったんです。そこで、先生に興味を持ちまして、連絡を取ったところ、講習会にいらっしゃいと先生に言っていただいたので、夏期講習に参加しました。それがきっかけですね。
-そもそも音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

大島  自分でバイオリンに興味を持ったというより、私が幼稚園のとき、親が何か習い事をさせようということで・・・。近所にもバイオリンを習いたい子がいたので、一緒に始めたという程度です。そして、バイオリンを習い始めたあたりで、バイオリンコンチェルトのコンサートに行く機会があったんですけど、そこで「私もバイオリン弾く人になりたいな」みたいな風には思いましたね。
-その後、ずっとバイオリンを習っていらっしゃって、高校から音楽学校に入られたんですよね。やはりご両親からの影響が大きいのですか?

大島  いえ、うちは親が音楽には全く関わっていない職業でしたので、周りに音楽は無かったんです。特別音楽が好きというわけでもなかったですし、本当に習い事という程度でした。
-ピアノではなく、バイオリンがそばにあったんですね。

大島  小学生くらいのときに、ピアノも習ったほうがいいって言われて、実際ピアノを習ったんですけど、好きになれなくて、すぐに辞めてしまいました(笑)。
-クラシックを海外で勉強するに当たって、それぞれの国の良い点悪い点などありましたら教えてください。

大島  イギリスに関して言えば、世界の中心というか大きな都市なので、一流の音楽家のコンサートが毎日どこかであって、刺激があります。かといって、ニューヨークのように時間が早く、みんながせかせか働いているわけではないので、ヨーロッパらしい落ち着きがあります。なので、刺激はありつつゆったりと音楽が学べるという、良い環境でしたね。
-逆に悪い点は?

大島  たとえば、学校に関しては、ロイヤルカレッジ(編集注:英国王立音楽大学)、アカデミー(編集注:英国王立音楽院)、ギルドホールが有名なんですけど、そのどの学校とっても、日本の桐朋のレベルでいろんなことを与えられる、ということは少なかったですね。桐朋は大きな組織ですし、公開レッスンと言って、外国から先生をお招きして、毎年レッスンを受けられる機会もありました。また、図書館にもたくさんのレコードや資料があります。そういうのがイギリスではなかったですね。割と、そういう経験は、日本の学校の方がたくさんできました。
-意外ですね、イギリスの方がシステムが整っているように思っていました。

大島  学校にいて、外から受ける刺激が多いのは、日本のほうですね。
-桐朋学園は特に、海外に出て行かれる生徒さんも多いですしね。

大島  学校として積極的ですよね。情報量もとても多かったし。
-ドイツはいかがですか?オーケストラに入られたということですが。

大島  学校には行ってないので、教育法などは分かりませんが、ドイツには大きな都市が無いんですよ。中くらいの都市が分散していて、それぞれにオーケストラがたくさんあるという感じですね。街と音楽が密着しているというか。外から刺激を与えられるというより、街と密着した生活の一部としての音楽を築いていくような感じが強いです。ですから、オーケストラも、州の中の他の街に行きコンサートをする機会も多いです。すべての人に、音楽を届けるような感じですね。
-逆に、ここは難しい部分だなという点はありますか?

大島  ドイツ人は、日本人と気質が似ているところがあるので、あまり不満は感じなかったですね。ただ、私は、東京とかロンドンとか大都市で過ごしてきていたので、街に刺激が少ないドイツでの生活が耐えられなかったんですよね。地道に音楽をやっていくのであれば最高の場所ですけど、それ以外にも楽しみたい場合はちょっと・・・(笑)
-気分転換は大事ですからね。今はパリにいらっしゃるということですが、違いはありますか?

大島  パリは、いろんな文化が発達しています。音楽だけでなく、美術も料理もファッションも。だからすごく刺激を受けますね。たとえば、食にしても絵にしても、必ずどこかで自分を表現するということとか、繊細な感性の部分とかが、音楽と共通しますからね。
-芸術の都ですものね。逆に何か悪い点は?

大島  フランス人はコンサバティブというか、自分の国が一番と思っているので、外から何かを受け入れることが少ないですね。他の国だったら、音楽大学でも有名な学校がたくさんあったりするんですけど、フランスだとコンセルバトワールしかないというか。オーケストラも、そこの卒業生以外いないという感じで、だから結局メソッドとかも偏っていますし、そういう意味では閉鎖的だと思います。
-フランス語がわからないと話してくれない、みたいなこともあるそうですものね。ちなみに、フランス語は話せるんですか?

大島  いまだに苦労していますよ(笑)。
-それぞれの国で、いろいろ違っていて興味深いですね。イギリスを留学先に決めたきっかけは、先生だったということですが、街の雰囲気というのもあったんですか?

大島  確かに都市の大きさもありました。都市が大きい分、刺激が大きいというか、コンサートを聴いたり自分が演奏する機会も多いのではないかと思いましたね。
-学生時代から、演奏の機会は与えられていたんですか?

大島  はい、そうですね。
-勉強だけでないものも身についていったという感じですかね。イギリスと言うのは、ギルドホール、ロイヤルカレッジ、アカデミーという3校が有名ですが、やはりそこを出た人の方が就職に有利とかいうのはあるんですか?

大島  出身校によって、有利不利ということはないと思うんですが、その学校のコンサートのテリトリーなどはあると思いますね。たとえばカレッジであれば、学内のオーケストラと共演できる機会があったり、いくつか契約している大きな教会でのコンサートがあったり、ジャガーという自動車会社が、顧客に対して行っていた世界各地の英国大使館のコンサートに、カレッジの人が派遣されたりすることもありました。そういう機会が、大きい学校の方がたくさんあるとは思います。
-日本は、学歴や学校名が就職に関わったりすることもありますが・・・。

大島  イギリスは経験だと思います。だから、学校を出るだけでは、全く仕事がないのですけど。どこで演奏したか、どこの主催で演奏したか、そしてどこのオーケストラで弾いた事があるかなど経験が重要になってきます。
-ドイツとフランスで活躍されていますが、日本人が有利だと思う点と不利だと思う点はありますか?

大島  有利な点は少ないんですけど・・・。芯の強さだったり、日本人としての感性は、ヨーロッパ人とは全く違うものを持っていると思います。それをキャラクターとして活かせれば有利になると思います。
-プロの音楽家として成功する条件にもつながってくるのでしょうか。では、逆に不利な点は?

大島  どうしても、どこの国でも自国の国民を大切にしますので、同じくらいの演奏レベルであれば、自国の人を採用するということはありますよね。
-そういった場面で大切になってくるものは何でしょうか?

大島  人脈も大事だと思うんですけど、その点は私は苦手分野なので・・・。まじめな姿勢で取り組むなど、人を信用させることができるかということが大事になってくるのでしょうね。
-信頼関係ができないと、お仕事って成り立たないですものね。そういうときは技術で見せますか?言葉ではなく。

大島  やはり技術ですかね。結局、いくら言葉で主張しても、弾いたら人間性とかそういうのは全部見えますので。やっぱり弾くことによって、自分を表現しなければいけないですから。
-そういう風に、技術の上手い下手とかではなく、この人はこういう良い物を持っているな、というのが伝われば受け入れてもらえるんでしょうか。

大島  オーケストラによって違うと思うし、好みもあると思うのですけどね。自分に合ったところでは評価されますし、合わなければどんなに上手でも評価されなかったりします。そういうのは縁ですよね。
-いろんなオーケストラのオーディションを受けられましたか?

大島  はい、受けました。
-厳しかったですか。トントン拍子というイメージがありますが。

大島  トントン拍子というわけではなかったですね。最初、イギリスで働きたかったんですけど、イギリスではオーケストラで入団を許可されても政府が労働ビザを下ろしてくれないんですよ。そういう関係で、トライしてもだめで、結局大陸に渡ったんです。
-そうだったんですか、イギリスではビザがなかなか下りないんですね。

大島  絶対無理って言われて。条件がどんどん厳しくなってきていますね。
-音楽だけじゃなくて、事務手続きで問題が出てくるのは、歯がゆいですね。

大島  自分ではどうにもならないっていう部分で悩んだことも多かったですね。
-制度の話ですからね。いつかイギリスでお仕事できたら、というお気持ちはありますか?

大島  2年くらい前に戻りたい気持ちが強くなって、一度ロンドンフィルに行ったことがあったんです。しばらく仕事をしたんですけど、仕事量がものすごく多くって・・・。イギリスは、すべての人がフリーランスなんですよ。だから月給制ではないから、休んだら給料をもらえないし。生活するのが大変な場所で、プレッシャーも大きいし、ストレスが大きくて・・・。
-理想と現実とのギャップがあったんですね。

大島  そうですね。ロンドンに住みたいけど、働くならフランスの方が働きやすいんだなと思いましたね。
-フランスが働きやすいというは?

大島  すごく労働者が守られているので、とても安心して働けますね。休みも保障されているし、病気になっても国が保障してくれたりとか。そういう意味では安心して音楽を仕事に出来ますね。
-確かに。一度テレビで見たんですけど、バレエ団でも将来が保障されているということを言っていて、すごいなと思いました。ドイツはどうなんでししょうか?

大島  ドイツもちゃんとしていますよ、フランスと同じくらいか、それ以上に。
-やはり音楽の都ですね。大島さんは様々な国でご活躍されていますけど、フランスに興味を持ったきっかけは?

大島  これも本当に縁ですね。最初は、全然フランスには興味がなかったし、いろいろなオーケストラに申し込みをしているときも、フランスだけは排除していたくらいだったんです。
-そうだったんですか!では、なぜフランスに?

大島  自分の中では、ドイツがいいかな思って行ったんですけど、いざ行ってみたら生活がつまらなすぎて・・・。ここは合わなすぎるな、と。そして、すぐに夏休みになったので、その休みを利用してフランスの講習会に行ったんです。フランスの田舎町だったにも関わらず、華やかでお店もたくさんあるし、楽しいかもって思いまして。
-そういうのがきっかけになったんですね。

大島  そのとき習ったのもフランス人の先生で、「パリに来るのもいいんじゃない?」っていう話をされたんです。そうしたら、たまたまオペラ座に空きがあって、2ヵ月後くらいにオーディションがあったんですよ。そこでフランスのオーケストラを初めて受けたというわけです。
-そういうのも縁なのでしょうね。ちなみに、その講習会はどこだったんですか?

大島  ナンシーです。
 
ピエール・ブーレーズと共に
-どこに何があるかわからないですね。人生。

大島  行ってみて分かったことではあったんですけど、フランスのオーケストラっていうのは、フランスの大学を出た人ばかりが受けに来ていて、外国からの受験っていうのは、ほとんどいないんですよ。特にわたしは、フランス語が全然分からないのに受験したので、オペラ座の方もびっくりしていたような状態だったんです。いろいろ説明されても何も分からないし、受かったのか落ちたのかも分からない(笑)。試験終了後に、ある部屋に連れて行かれて、審査員の人が「コングラチュレイション!」って言ってくれたときに、あ、もしかして受かったのかなって(笑)。
-それは英語だったんですか?

大島  はい。当時の音楽監督がアメリカ人だったんです。そして「君は、どの国の言葉を話すの?」って聞かれて(笑)。結局オペラ座の中で、フランスの学校で勉強していないのは私だけなんです。
-素晴らしいですね!輝くものがあったから選ばれたんでしょうね。

大島  オペラ座の音楽に共通する何かがあったのかもしれないですけど。
-コミュニケーションは英語とフランス語ですか?
 
パリオペラ座で活躍中
大島  笑顔で・・・よくわからない英語のコミュニケーションですね(笑)。とりあえずは、数だけは覚えて行って。というのは、指揮者が「何小節目から。」って必ず言うので、それだけは覚えました。
-言葉がしゃべれなくても、大島さんを採用したいと思わせたものがあったんでしょうね。

大島  今思うと、すごく公平にやってくれたんだなと感謝しています。実力だけじゃなく、タイミングや運なんかもあると思うんですけど。
-なるほど、そういった形でパリに行かれたんですね。非常に興味深いですね。

大島  流されるままにって感じなんですけど。偶然は必然なんでしょうね。
-フランスで音楽家として活躍して行く上で、何が成功の条件になるでしょうか。

大島  やっぱり自分を失わないことでしょうか。いろんな意見があっていろんなことを聞くと、流されてしまうこともありますよね。でも、その中で自分が何をやりたいのかを常に持っていて、何があっても自分を失わないことが大切ですね。
-大島さんは、先生のおっしゃることと違う部分があったら、私はこうしたいと主張するタイプですか?

大島  学生時代は、先生に従順っていうか、先生の言うことは絶対だと思っていました。なので、何か言われたら自分が間違ったんだと思っていましたよね。でも、今になって考えてみたら、自分にとって必要なものと必要じゃないものがありますから、必要じゃなかったら排除していってもいいと思います。
-学生は学ぶ時期なので、先生の言うことを聞くのも大切ですものね。

大島  自分に自信が無かったので、自分の主張が正しいかどうかも分からなかったですし。
-では、難しい質問になるかもしれませんが、大島さんにとってクラシック音楽とは何ですか?

大島  私の場合は、音楽っていうのはクラシック以外にないし、生活の中に他の音楽は入ってなかったんですよ。クラシック音楽が何かというより、私にとっての音楽は、自分の心を落ち着けるものであり、表現するものであるって感じですかね。
-そうですか。では、音楽家として今後の展望や夢があれば、教えてください。

大島  今はオーケストラの仕事に追われているんですけど、だいぶ慣れてきたので、今後は自分のことに目を向けて、ソロや室内楽の活動を広げていけたらいいなと思っています。日本やフランスに限らず、ヨーロッパ各国でいろんな人とやっていけたらいいなって思っています。
-実際に、これからのご予定はありますか?

大島  特にはありませんけど、来年たぶん室内楽のコンサートがあると思います。
-お忙しいとは思いますが、体に気をつけて頑張ってください。最後に、海外留学を考えていらっしゃる方にアドバイスをお願いいたします。

大島  やっぱり、いろいろ大変な苦労も多いと思うんですけど、たぶん一番大変なのは、孤独を味わうことだと思うんですよね。そういうときでも自分を信じて、自分がやりたいことを頭に思い浮かべながら頑張ってほしいです。日々の生活に追われると、なかなか難しいことなんですけど(笑)。
-大島さんの活躍を見ていると、そういうことが本当に大事だったんだなって思います。本日は本当にありがとうございました!

ブログ「パリ・オペラ座からの便り」
http://lisaoshima.exblog.jp/
コンサート情報
2012年11月30日 ウィーン
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