「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回マレーシア・フィルハーモニー・オーケストラ(MPO)でご活躍中の川見優子(カワミユウコ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2009年6月)
ー川見優子さんプロフィールー
マレーシア・フィル川見優子さん
北九州市小倉北区生まれ。3才よりピアノ、6才よりヴァイオリンを始める。第43回全日本学生音楽コンクール西日本大会ヴァイオリン部門中学生の部第1位。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学を経てプラハ芸術アカデミーに留学。プラハ芸術アカデミー修士課程を栄誉賞を受けて卒業。アカデミー在学中、J・ビェロフラーヴェク氏指揮、プラハ芸術アカデミー学生のコンサートミストレスを務める。弦楽カルテットの第一ヴァイオリン奏者としてオランダのチャールズ・ヘンネンコンクールで3位、マルティヌー国際音楽コンクール弦楽四重奏部門(プラハ)で2位を受賞。アマデウス弦楽四重奏団、アルバンベルグ弦楽四重奏団などから指導を受ける。ヴァイオリンを篠崎永育、三木妙子、江藤俊哉、石川静、V・スニーチルの各氏に、室内楽を、原田幸一郎 藤井一興、L・コステツキー(スメタナカルテット), P・メシエーレル(ターリヒカルテット)の各氏に師事。又、I・スターン、A・デュメイ、Z・ブロン各氏のマスターコースを受講。これまでに、韓国KBSシンフォニーオーケストラ、チェコのピルゼン・オーケストラ、パルドゥビツェ室内フィルハーモニー、プラハ室内フィルハーモニー、スロヴァキアのコシツェ・フィルハーモニーなどにソリストとして共演。2004年よりマレーシア・フィルハーモニー・オーケストラ(MPO)入団。
-まずはじめに簡単な自己紹介をお願いします。
川見 3歳からピアノ、6歳からバイオリンを始めました。中学校1年生のときに、全日本学生音楽コンクール西日本大会ヴァイオリン部門中学生の部で1位を受賞しました。高校から東京に上京して、桐朋女子高校音楽科を卒業、その後、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースを経て、20歳のときにプラハに留学しました。プラハ芸術アカデミーに5年間在籍して修士課程を終了し、2004年からマレーシア・フィルハーモニー・オーケストラに入団しました。
-3歳のときにピアノを始めたのはご両親の影響ですか?
川見 はい、そうです。母がピアノの先生をしていたので、自然とピアノを聴いて育っていました。
-バイオリンに転向されたのはどうしてですか?
川見 母がバイオリンのレッスンに連れて行ってくれたことは覚えていますが、自分から行きたいと言ったのかどうかは覚えていません。気がついたら、バイオリンを弾いていたという感じです。
-バイオリンの方がお好きでしたか?
川見 そうですね。ずっと、ピアノとバイオリンを両立して同じくらいやっていたのですが、小学校4年生からコンクールに出るようになって、その頃からバイオリンが主になってきました。
-中学校1年生で、コンクール1位をとられたということですが、コンクールには精力的に参加されていたんですか?
川見 毎年コンクールには出ていました。同じバイオリンスクールに通っている周りの子たちも参加していたので、自分も一緒に参加する、という感じでした。
-1位になったときは、うまく弾けた!という感じだったんですか?
川見 あまり覚えていないんですよ(笑)。ただ、すごく嬉しくて、それがきっかけのひとつとなって、音楽の道に進むことを、考えるようになりました。
-高校に入学した頃は、音楽家としてやっていこうという気持ちはあったんですか?
川見 そうですね、ありました。桐朋の音楽教室に小学校5年生の頃から通っていたんですけれども、中学校2年生の頃から、レッスンのために上京するようになりました。その頃から自然と音楽の道に進みたいという気持ちになっていきました。
-なるほど。それで、高校を卒業されて、大学に進まれたんですよね?
川見 大学とは違うのですが、ソリスト・ディプロマコースというコースに進みました。でも結局、卒業せずにチェコに行きました。
-ご留学を考え始めたのはいつ頃からだったのですか?
川見 外国に興味を持ち始めたのは、15歳のときに北九州音楽祭で、フィンランド人の世界的指揮者オッコ・カム指揮のKBSシンフォニー・オーケストラ(韓国)と共演した時です。その後、フィンランドのクフモ音楽祭に全額奨学金をいただいて、音楽祭に参加したのですが、初めてヨーロッパを訪れて、外国の方たちと交流する機会があり、海外に興味を持つようになりました。
ヴァーツラフ・スニーチル教授と奥様と先生のご自宅で
-なるほど。それで、プラハを選ばれたのはどうしてですか?
川見 海外留学を考えていた時に、江藤俊哉先生や石川静先生に相談しました。江藤先生も、親身になって、アメリカなら、どの学校が一番私に合っているか等、色々相談に乗って下さいましたが、石川先生が、演奏旅行で、頻繁に日本とプラハを往き来されていましたので、私の録音テープをプラハ芸術アカデミーの教授、ヴァーツラフ・スニーチル先生に持って行って下さいました。スニーチル先生がそのテープを聞いて「教えてあげるから、いらっしゃい」と言って下さったので、思い切って留学しました。何も分からないまま行ったので、不安も大きかったのですが、結果的にはとても充実した留学生活を送ることが出来ました。
-ご留学前にチェコで師事する先生のレッスンを受けずに行かれたのですか?
川見 いえ、レッスンは受けました。その時にすぐ、この先生に教えていただきたいと思いました。
-そうやって、素晴らしい先生と出会えることって、なかなかないですよね。
川見 そうですね。先生との相性もとても大事な要素だと思います。先生の音楽に対する謙虚な姿勢、研究熱心なところをとても尊敬しています。先生の音楽に対するお考えに共感する部分がたくさんありました。
-プラハ芸術アカデミーは先生がOKをくだされば、入学は可能なんですか?
川見 そうですね。他の試験もありますが、そういう部分もあります。ただ、席が空いていない場合もあって、とても忙しい先生だと、1年も2年も待たされるということもあるかと思います。
ヴルタヴァ沿いにあるスメタナ博物館
-チェコ語は勉強されてから行かれましたか?
川見 行ってから勉強を始めました。
-レッスンは英語ですか?
川見 最初のうちは英語でした。しばらくするうちに、レッスンを先生の母国語で受けたい、先生のおっしゃることを全部理解したいと思うようになり、語学学校や夏季集中チェコ語コースにも通い、チェコ語の勉強を始めました。
-チェコ語というと、あまりなじみのない方が多いと思いますが、やはり語学の習得は大変でしたか?
川見 チェコ語は難しいですね。スラブ語系の言語で、格変化が多いです。女性、男性、中性とあって、さらに複数でもそれぞれ女性、男性、中性があります。語学の習得は、とても大変でした。
-現地で音楽理論の授業もありましたか?
川見 はい。ただ、留学してすぐに本科に入ったのではなく、最初は研究生としてレッスンだけ受けていました。授業は受けなくてよかったので、その空いた時間で語学学校に通ったりしていたんです。スニーチル先生のところでもっと長く勉強したいという気持ちがあったのと、桐朋でソリスト・ディプロマコースに進んだものの、きちんと終了していないので、もう一度しっかり学び直そうと思い、アカデミーの本科に編入しました。それが留学して2年経ってからです。それからは、理論や音楽心理学、歴史も学びました。授業はチェコ語だったので、内容は半分くらいしか分かりませんでした……(笑)。
モルダウ川とお城とカレル橋
-ご留学されて感じた日本とチェコの音楽(家)の違いは何かありますか?
川見 スタイルが違いますね。チェコ人の演奏は、フレーズがすごく流れていく感じがあって、弓の使い方もサササーと流れていくんです。日本 だと、もっと歌い込むような印象があります。また、歴史的にロシアの影響を受けていますので、奏法がロシア系に近いです。
-チェコの音楽に触れて、何か戸惑いはありましたか?
川見 戸惑っている余裕はなく、がむしゃらに頑張っていた感じです(笑)。
-ご留学して、ご自身が一番変わったことは何ですか?
川見 日本にいた頃は、枠にはめて考える癖があって、こうしなきゃいけないとか、こうじゃなきゃダメだとか、そういうふうに考えていたんです。留学して、そこから解放されました。間違っていても、主張はしていいんだ、と思えるようになりました。間違っていれば、学生であるうちは先生が指摘してくださいますしね。留学してからは、ああしてみたらどうだろう、こういう方法も可能かもしれない・・と、自由に考えられるようになりました。それから、自分の意見を言うのがこわくなくなりましたね。
-そういうことは音楽にも繋がってくるでしょうね。
川見 はい。そうですね。
冬・自然(マイナス・10度?)
-チェコ・フィルに入団されたのですか?
川見 チェコ・フィルはオーディションに合格しましたが、入団はしていません。これから入団、というときに、マレーシア・フィル入団を決めました。
-そうだったんですね。ちなみにチェコ・フィルのオーディションについて、お伺いしてもよろしいですか?
川見 募集はアカデミーの掲示板で見て応募しました。一次審査は、スクリーンがあり、誰が音を出しているのか分からないようになっています。モーツァルトのコンチェルトとオーケストラ・パートの何曲かを演奏しました。聴いている人は多かったようで、弦楽器以外の人も含めて団員全員とはいかないまでも半分以上の人が聴いていたようです。一次審査が午前中に終わり、すぐに結果発表があって、午後には二次審査がありました。応募者は20人程度で、4人が二次に進んで、そのうち3人は日本人でした。
-なかなか珍しいですね。
川見 そうですね。審査の方法ですが、一人一人が100ポイントを持っていて、その合計を人数で割って出し、何パーセント以上だったら合格ライン、としていたようです。そういうシステムですので、1位の人だけが入団できるのではなく、2位の人でも合格ラインに達していて、1年以内に席が空けば入れるというシステムでした。
-二次試験はどんな内容だったのですか?
川見 ロマン派のコンチェルトとオーケストラ・パートです。スクリーンなしで、顔が見える状態でした。この時の常任指揮者はマーツァル氏で、彼がオーディションを進めていました。
隣国スロヴァキアで山登り
-二次に進んだ4人のうち、何人が合格したんですか?
川見 覚えていません。私は2番目での合格でした。1番目の人は、チェコ・フィルにセカンド・バイオリンで在籍していた人で、ファーストに移動を希望して、オーディションを受けていました。彼女は一次審査は免除されました。
-それで、結局マレーシア・フィルに行かれたわけですよね。こちらのオーディションはどうやって知ったのですか?
川見 インターネットに募集が出ていました。音楽雑誌にもオーディションの広告を出していたようです。マレーシア・フィルは、今、ちょうどロンドンでオーディション・ツアーをやっています(注:インタビュー2009年6月)。オーディションのためにマレーシアに来てもらう、となるとなかなか、参加者が集まらないという事情もあり、毎年、首席指揮者、オーケストラマネージャー、各パートの首席の人たちが一緒に世界を旅行しています。今年は、ロンドンとミュンヘンだけでしたが、日本、中国、オーストラリア、シカゴ、ニューヨーク、ベルリン、プラハ、ブダペスト……いろいろなところを回っています。
-川見さんのときは、プラハに来ていたのですか?
川見 はい、そうです。プラハ芸術アカデミーがオーディションの会場でした。
-マレーシア・フィルのオーディションはどのようなものですか?
川見 一次、二次とは分かれていなくて、一人が30~45分くらいかけて弾きます。課題曲はモーツァルトのコンチェルトとロマン派のコンチェルト、Tuttiポジションのオーディションであれば、他に7、8曲のオーケストラ曲を弾きます。タイトルポジション付きのオーディションを受ける場合は、さらにオーケストラのソロ・ヴァイオリン・パートを数曲弾きます。
-そのときはどのくらいの人が受けていましたか?
川見 プラハでのオーディションは10人程度だったと思います。他の各都市では20人ほど受けていたようです。
プラガカメラータと日本公演
-プラハでのオーディションでは何人が通ったのですか?
川見 2人でした。もう一人の合格者が私の夫(ヴィオラ奏者)で、二人で合格しましたので、チェコ・フィル入団が決まっていましたが、マレーシアに行く決心をしました。1人だけだったら、マレーシアに来る勇気はなかったと思います。
-じゃあ、二人でマレーシアに行こう、という感じだったんですね。
川見 そうですね。
-でも、マレーシアに行かれるということに不安もありましたか?
川見 そうですね。マレーシアと言われても、思い浮かぶことが、ビーチ、虎・・・くらいで(笑)。海が綺麗でダイビングスポットとして遊びに行く国というイメージですよね。でも、いつもそうですが、あまり深く考えずに行動に移してしまう性格です。
-実際に行かれてみてどうでしたか?
川見 思っていたよりも街の中心は近代都市で、私たちの働いているホールはツインタワーという一時は世界で一番高かった建物の中にあります。ホールだけではなく、ショッピング・モールやトップ企業のオフィスも入っていて、便利がよく、とても環境がいいところです。
-では、生活で困るようなことはありませんか?
川見 はい 特に困る事はありません。ただ、国としては、チェコの方が好きです。プラハの街は石畳で、お城や教会など9世紀、10世紀のものがたくさん残っていて、歴史を感じます。マレーシアは、歴史が浅く、まだ発展を目指している国です。またクラシック音楽は、裕福な層のもの、高尚なものという印象があるようで、まだ人々の間に根付いていません。一方、プラハでは、毎日、どこかの教会やホールでコンサートが頻繁に行われていて、気軽にコンサートに立ち寄れる、という環境です。マレーシアはそういう面では物足りなさを感じます。一方、だからこそ、マレーシアでのクラッシック音楽の普及に貢献できているかもしれない、と思うところもあります。
-マレーシア・フィルはマレーシアを中心にコンサートをされているんですか?
川見 はい。ほとんどがマレーシア国内での演奏活動で、毎年1カ所、海外公演をしています。今年は、9月に日本に行きます。私はこれまでに、オーストラリア、中国(上海、北京)、台湾、シンガポールに行きました。
-団員さんは国際色豊かなんですか?
川見 団員は今100人弱いますが、マレーシア人は5人しかいません。他は、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの国の人達で、全部で23か国くらいですね。日本人は8人います。
コミュニケーションは英語ですか?
川見 はい、そうです。
-先ほどもお話がありましたが、マレーシアでのクラッシック音楽はまだまだ普及していないんですか?
川見 指導者も限られていますし、教育システムがまだ整っていないんです。だから、私たちが今しなければいけないのは、しっかりとした指導者を育てる事だと思っています。まだ、間違った方向で音楽学生が指導されていることがあるんです。15歳の時に私のところへ習いに来た生徒がいましたが、本当に最初から教え直さなければいけなかったこともありました。
-でも、そうやってクラッシック音楽の普及に携わるのも素敵なことですよね。
川見 自分のできることをしようと思っています。一人の人間にできることは本当に小さなことだと思いますが、オーケストラの中には教育熱心な人もいて、管楽器のアンサンブル、弦楽アンサンブルを学生のために作り上げて指導している同僚達はいますし、学生たちに人前で演奏する機会を与えたり、底上げをはかろうとしています。私自身もアウト・リーチはしていて、病院や学校などに出向いて演奏しています。
ヴルタヴァ側と国立歌劇場
-今、川見さんはマレーシアで音楽活動をされているわけですが、将来的に夢や目標は何かありますか?
川見 室内楽、小編成のアンサンブル、特に弦楽カルテットに惹かれます。学生の頃は室内楽をたくさん勉強しましたが、オーケストラ曲をあまり知りませんでした。モーツァルトの室内楽曲やソナタはたくさん知っていても、交響曲やオペラをあまり知らない、というのでは偏るかなと思いますので、今は色々な作曲家の交響曲を知る時期だと捉えています。いずれは、夫とヨーロッパに戻って小編成のアンサンブルで活動できたらいいな、と思います。
-ちなみに旦那さまはどちらのお国の方なんですか?
川見 スロバキア人です。
-では、旦那さまもいずれはヨーロッパに戻りたいとお考えなんですね。
川見 そうですね。話は少し変わりますがマレーシアは常夏の国ですので、四季がありません。四季は恋しいです。少し前までは、音楽をやるならどこの国にいても同じだと思っていたのですが、やはり住む国の環境というのは大きいなと思います。
プラハの冬
-将来、音楽家になりたいと思っている日本の学生にアドバイスをお願いします。
川見 音楽だけでなく、語学も勉強しておいた方がいいと思います。私は喋れずに渡ってしまったので、あまり言えないのですが、勉強するだけだったらなんとかなる語学のレベルと仕事をしたいと思ったときに必要になる語学のレベルは少し違います。語学力で、人との交流や入って来る情報の量も変わってきます。人との交流が、豊かなほど人間的にも成長できると思いますし、その成長は音楽にも影響してくると思います。勇気を出して人と接する機会をたくさん持ってみてください。
-そうですよね。コミュニケーションは大事ですよね。
川見 ええ。また、たとえ、最初に就職したところが自分の希望と違うところでも、希望を持ち続けていれば、きっとチャンスは回って来ると思います。
-多くの方がひどく悩んでなかなか動けないという方がいます。
川見 情報収集はとても大事なことですが、「悩むより行動に移してみるほうがよい」と思うのです。不況の中、金銭的な問題もあるかもしれませんが、講習会に参加してみることで、「よく分からない」目標がはっきりと見えてくるかもしれません。いきなり留学しますと、その国や先生との折が合わなかったときに精神的にダメージが大きいので、講習会などを利用するのが一番良いと思います。音楽留学は、「この国にいく」「この学校に入る」というより、「この先生に是非習いたい」と思ったその先がチェコだったり、ドイツだったり、フランスだったりすることが、多いと思いますが、一方でフランス人の演奏スタイルが好きだとか、ドイツのオーケストラの音が好きだとか、チェコ人作曲家を深く知りたい、などということもあって、留学先を「国」で決めることもあるかもしれないですね。動機がどんなものにしても、実際にその空気に触れて初めてわかる事ってたくさんあると思います。例えばチェコで言えば、室内楽が盛んな国なので、四重奏を勉強したい、というはっきりした目標を持った人には良い国かもしれません。もう今は活動していないですが、プラハカルテット、スメタナカルテット、世界の第一線で大活躍中のプラジャークカルテット、メンバーはオリジナルと変わりましたけれど、ターリヒカルテット、ヴラッハカルテット、コツィアンカルテットや若手のハースカルテット、など、プロの弦楽四重奏団の多い国だと思います。
-最後に川見さんにとって音楽とは何ですか?
川見 3歳の頃からずっと音楽に触れているので、生活の一部になっています。
楽器製作者ピラーシュ氏の自宅
-本当に生活そのもの、なんですね。
川見 そうですね。大きな影響を受けてきました。落ち込んだ時にクラシック音楽を聴くと元気になりますし、素晴らしい作品に触れる時、わくわくします。また、演奏家として舞台に立ち、聴いて下さる方とその時間を共有しているときとても幸せです。
-ありがとうございました。
〜〜〜〜以下、MPOの日本公演日程〜〜〜〜
2009年9月にマレーシアフィルハーモニー管弦楽団(MPO)は、
日本ツアー4公演を下記の日程で行います。
9月8日19:00開演 ザ・シンフォニーホール(大阪)
9月9日18:45開演 愛知県芸術劇場コンサートホール(名古屋)
9月11日19:00開演 札幌コンサートホールKitara(札幌)
9月14日19:00開演 東京オペラシティコンサートホール(東京)
スメタナ 交響詩「モルダウ」
ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
指揮 クラウス・ペーター・フロール
ヴァイオリン ワディム・レーピン
MPO公式サイト
http://www.malaysianphilharmonic.com/
また、ツアーのあとに、MPOメンバーによる室内楽演奏会を東京・ルーテル市ヶ谷センターホールで行います。
詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.h2.dion.ne.jp/~kikukohp/mpcs.html