-簡単な自己紹介をお願いします。
中島 青山学院大学で経営学を学んだあと、就職しました。関西の大手電機メーカーに勤めていました。しかし、家の事情もあり、急遽会社を1年で辞めることになり、実家に戻りました。現在は、立正大学の3年に編入しまして、仏教を勉強しています。
-サクソフォンを始められたきっかけを教えてください。
中島 今から4年程前、前の大学の3年生のとき、何か楽器を始めたくなったんです。本当は葉加瀬太郎さんに憧れて、バイオリンをやりたかったんですが、友達が先にバイオリンを始めちゃったんですよ。その友達はすごい努力家なので、同じ楽器を始めてもかなわないかなって思ったんです。そんなときに、ストリートミュージシャンでサックスを吹いている人を見かけたんです。その方は会社を辞めて、27歳からプロになった人で、これなら自分もうまくなれるかなと思って始めました。実に甘い考えでしたね(笑)
-今はどこかで習っているんですか?
中島 有楽町にある山野ミュージックサロンに通っています。
-海外の先生のレッスンを受けたことはありましたか?
中島 まったくないです。今回が初めてです。
-今回、留学したいと思ったきっかけは何ですか?
中島 もともとニューヨークに憧れを持っていたんです。2007年にヤマハのサックス合宿に参加しまして、そこで初めてジャズと出会いました。それから興味をもったんです。そしてジャズの本場のアメリカ・ニューヨークに行ってみたいと思っていたのが留学のきっかけです。
-ニューヨークに行きたいと思ったのはサックスを始めてからですか?
中島 そうですね。サックスの影響が大きいです。クリント・イーストウッドが撮った『BIRD』という映画があって、ニューヨーク等を舞台にチャーリー・パーカーが活躍するんです。それを観て、漠然と一度は行ってみたいなと思っていました。
-今回が初めてのニューヨークですか?
中島 そうです。偉大なミュージシャンたちと同じ土を踏めて感動しました。
-今回の留学でジョン・ゴードン先生を選んだ決め手はありますか?
中島 アルトをメインに吹かれていたということと、ジョン・ゴードン先生がフィル・ウッズに師事されていたということです。フィル・ウッズは憧れの奏者なので。
-ジョン・ゴードン先生はどんな方でしたか?
中島 厳しい方でした。普段は温和で優しい方なんですが、レッスンでは熱くて厳しい方ですね。最初に「せっかく高いお金を払って、日本からわざわざニューヨークに来たんでしょ。何かを君にあげたい。何かを持って帰ってもらうから」って言われました。
-レッスンは週に3回で4週間。全部で12回でしたよね?
中島 最初の予定ではそうだったんですが、先生もライブなどで忙しい方だったので、週に2回になって、1回のレッスンが90分〜2時間と時間が延びるというかたちで変則的でした。結局、レッスンは全部で7回でした。
-時間的には同じですか?
中島 結局12時間なので、同じです。最初にガイダンスをして、お互いに1回のレッスン時間を延ばした方が時間が取りやすいということになったんです。先生もレッスンの時間が取れないし、自分も週3回レッスンが入ると、練習時間がなかなか取れない。なので、週2回のレッスンは、逆にすごく時間が取りやすかったです。
-レッスンはどのように進んで行きましたか?
中島 基本はスケール中心のレッスンでした。最初にウォーミングアップをして、その後2〜3曲練習しました。1時間くらい練習をしたら、楽器をしまって、イヤートレーニングをしました。ジャズの曲をYouTubeなどの映像を見て学ぶんです。先生がおすすめの曲を見せてくれて、それを聴いて勉強しました。1回のレッスンは、そういう流れで進みました。
-全部で12時間のレッスンを受けて、上達を実感しましたか?
中島 一回一回ついていくので精一杯でしたね。先生には“Much Better!(良くなってるよ)”と言われましたけど、自分ではなかなか自覚できませんでした。
-練習はどこでされましたか?
中島 ホームステイ先の家でしました。
-練習環境はどうでしたか?
中島 よかったですよ。家に地下室があって、そこでいつでも練習できたんです。お父さんが、音楽を聴くのが好きな人で、地下室がDJスペースなんです。最初に「部屋でサックスの練習をして大丈夫か?」って聞いたら「ちょっとおいで」って言われて、地下室を案内されて、「ほら、ここなら大丈夫だろ」って言われました。防音ではなかったんですが、大きな音を出しても誰も全然気にしないという感じだったので、思う存分練習できました。
-ホストファミリーはどんな方たちでしたか?
中島 話しやすい方たちでした。それでも、お互いプライベートなことまで干渉することはなくて、アメリカってそういう国なんですかね。食事はつかないという話だったんですけど、ときどき作ってくれたし、隣の家のお昼に招待してくれたりもしました。
-へー。いいですね。
中島 「鶏肉の料理、作ったから」ってお呼ばれしたのですが、それがすごくおいしかったです。チキンが丸ごとドーンっと出てきて、「アメリカの食事はおいしくない、なんて誰が言ったんだろう?」って思うくらいおいしかったです。
-いいですね(笑)。レッスンの話に戻りますが、通訳なしでの英語でのレッスンはいかがでしたか?
中島 先生が容赦なかったので・・・最初は全然聞き取れませんでした。止まらないんですよ。バーッと話されて、“Do You understand?”って聞かれても、ほとんど分かりませんでした。1週間が過ぎた頃から、徐々に慣れてきて、なんとなく言っていることが分かってきて、単語も少しずつ覚えて、分かるようになってきました。でも、最後まで聞き取りには苦労しましたね。だからと言って、レッスンに大きな支障が出るということはありませんでした。レッスンは、最低限分かっていれば、大丈夫です。
-教わったことで印象に残っていることはありますか?
中島 「サックスはシンガーのように、歌うように」とよく言われたことです。「歌うときに、高音をキューッと出したりしないだろう」と言われました。あとは、アンブシュア(くわえ方)が、今までやってきたやり方と違っていて、「ジャズはもっと楽に、自然体で」と言われて、最初はそのやり方でだいぶ苦労しました。
-即興のレッスンはありましたか?
中島 そこまではいかなかったですね。これから即興をやっていく基礎として、スケールの練習はたくさんしました。ただ、「マイルス・デイビス(トランペット奏者)のソロ・アルバム『カインド・オブ・ブルー』を買って来て、ソロを覚えなさい。暗記して、次のレッスンのとき、歌いなさい」って言われたんです。でも、それがなかなかできなくて、ニューヨークにいる間、ずっと練習していました。そういう練習が、これから即興をするときに役に立ってくるそうです。先生いわく、「暗記できれば演奏もできる。まずはいいものをたくさん聴いて、吸収して練習しなさい」と。
-いろいろと新発見が多かったようですね。
中島 そうですね。多かったですね。こんなにアップアップになったのは、久しぶりでしたね。追い込まれましたよ。休みの日に何も予定がないときは、朝起きて、近くにあったダンキンドーナッツでドーナッツを買ってきて、あとはずーっと丸一日、地下室にこもりっぱなしでした。家の人も「お前は、ずっとやっているな」って。家の人たちは、上でパーティーをしていて、がんがん音楽も鳴らしていて、誘ってくれたりもしたんですが、「明日レッスンあるから、それどころじゃないんで……。練習しなきゃいけないんで」という感じでした(笑)。
-すっかりミュージシャンですね。
中島 ははは。すっかりミュージシャンになった気分でしたね(笑)。大変だけど、やらなければいけない。僕が他の生徒さんと決定的に違ったのは、譜読みが苦手なことだと思うんです。ゆっくりやればわかるんですけど、テンポが速くなると、読めなくなってしまいます。今までのレッスンであれば半年以上かけるようなスコアを来週までに1週間でやらなければいけない。しかも、それだけではなくて、スケールもあるし、エチュードもあるし……、本当に殺人的でしたね……(笑)。
-日本に帰ってきて、身についたことが活きているな、と思うことはありますか?
中島 「もっと大きく!強く息を入れて!」と注意されたので、音の大きさは違うと思います。それから楽器が鳴るようになりました。アメリカでようやく楽器と仲良くなれましたね。
-サックスを始めてから、4年間、同じ楽器を使われているんですか?
中島 いや、違います。今年の2月に買い変えた新しいものを使っています。買ってから、なかなか懐いてくれなくて困っていたんですけど、手に馴染んできましたね。向こうで、一日中ずっと吹いていたのが、良かったのかもしれないですね。
-最後のレッスンは何をされたんですか?
中島 総決算という感じで、覚えた曲を全部やりました。本当に汗びっしょりになりましたね。初めてです。レッスン中にあんなに冷や汗かいたのって(笑)。レッスンが終わったあとはぐったりでした。
-語学学校にも行かれたんですよね。
中島 はい。LSIという学校で良かったですよ。施設はきれいだし、道も分かりやすかったので、良かったですね。
-クラスには何人くらいいましたか?
中島 10人ぐらいです。会話重視のクラスもあれば、文法重視のクラスもあって、先生によって講義の内容が全然違うんです。自分の場合、2週間目くらいで先生が退職なされて、途中から違う先生に変わったので、2人の先生を味わえて、なかなかおもしろかったです。
-内容はどんなものでしたか?
中島 最初の先生は会話が多かったです。天気の話とか趣味の話とかスポーツとかお題が出て、それに沿って会話をしていく授業でした。2人目の先生は、どちらかというとグラマー中心で、現在完了がどうちゃらこうちゃら(笑)といった内容でした。
-クラスの人たちはどこの国の人が多かったですか?
中島 フランス、スペイン、イタリアあたりが多かったですね。日本人は少なくて、最初は自分しかいませんでした。
-宿題が出されることはありましたか?
中島 最初の先生のときはありませんでしたが、2人目の先生のときはありました。といっても、たいした量ではないです。
-どんなスケジュールで動いていたのですか?
中島 語学学校が13時前には終わるので、そのあとみんなでランチを食べて、すぐにジョン先生のところに行って90分くらいレッスンを受けたら、帰りに飲み物や簡単な食べ物を買って、帰ったらすぐにサックスの練習。10時くらいまで練習したら、寝るようにしていました。
-濃厚でしたね。
中島 自分でもよく乗り切ったと思います(笑)1ヶ月間よくやったな、と。レッスンがない日は、語学学校が終わったら、ご飯を食べて、買うものを買って、17時くらいには家に帰る。そのあとはずっと練習していました。
-17時〜22時まで5時間も吹き続けるって、すごいですね。
中島 疲れますね。みんなはけっこう遊びに行くんですよ。「お前もどっか行かないか?」って誘われるんですけど、「申し訳ない。練習しないと、明日大変なことになるから」と断っていました。
-そうすると、あまり遊びには行かなかったんですか?
中島 いえ。土日は時間を作って、けっこういろいろ出かけました。ブロードウェイのミュージカルも観に行きましたし……。ミュージカルは『レント』と『マンマミーア』を観ました。すごくよかったですよ。
-そういう時間も作れたんですね。
中島 あとは、ヤンキース・スタジアムにも行きましたし、ハーレムへゴスペルも聴きに行きました。ハーレムは一人では動きにくいこともあると思って、旅行会社のツアーで行きました。面白かったですよ。土日はどうしてもまるまる空いてしまうし、食事も出ないので、とりあえずいったん外に出て、ご飯を済ませて、帰ってきてから練習するようにしていました。
-ご飯はどうされていましたか?
中島 朝ご飯は家にあったシリアルか、マックかバーガーキングです。5ドルだから、日本よりも少し安いかなというくらいですね。ランチやディナーは14ドルくらいでした。日本食もけっこうたくさんありましたね。お寿司はどこに行っても食べられます。韓国料理屋でも中国料理屋でも寿司があるんです。寿司といっても日本料理屋じゃないから、ロールですけどね。
-街の様子はいかがでしたか?
中島 治安は良かったですよ。マンハッタンにいる限りは、何も危険なことはありません。ただ、ブルックリンになるとあまり遅くにならない方がいい、という話は聞きました。自分のホームステイ先はブルックリン地区でしたが、22時とか23時になると、少し治安が悪い感じがしました。自分が住んでいるあたりがちょうどボーダーで、そこより東に行くと、昔の貧困層の黒人さんが住んでいる地域なので、これ以上行くと危ないですよ、ということを言われました。マンハッタンで動く分には何も問題ありません。危険なところに入らなければ、大丈夫です。
-楽器の通りにも行かれましたか?
中島 行きました。ギターのお店が多くて、管楽器のお店はそこまでたくさんはなかったです。チェルシーの方にも行ったんですが、テロ以降客足が減ってしまい、管楽器のお店も減ってしまったようでした。
-そうなんですね。
中島 とはいえ、貴重な物も見れましたよ。
-どんなものでしたか?
中島 すごく古いマースピースで、ニューヨークで作られたもので、数が少なくて貴重なものなんです。往年のジャズ・ミュージシャンが好んで使っていて、作りもいいし、音もいいと言われています。
*近年、日本人の楽器バイヤーが現地に大量に買い付けにいき、そのせいで一般の日本人客が購入を断られるケースがあるようです。あくまでもお店の人の好意で話してくれたことなので、表現を変えさせていただきました。
-購入されたんですか?
中島 それは高くて買えなかったですね。10万近くするんですよ。
-ニューヨークの人たちはどんな感じでしたか?
中島 気さくですね。例えば、朝、道路が混んでいて、「先にどうぞ」って言うと、笑顔で手を振ってくれるんですよ。日本ではないなぁ、と思いました。愛想がよくて、そうしてもらえるだけで、1日が楽しくなるような感じでした。電車の中で、「お前どこで降りるんだ?」って聞かれたので、「カナルストリートです」と答えたら、「手前の駅で降りるんだけど、すごく疲れていて寝たいから、着いたら起こしてくれ」と言われました。そういう交流も面白かったですよ。ニューヨークの人は明るいですし、親切だと思います。
-交通はどうでしたか?
中島 使いやすいですね。最初のうちは間違えたりもしたんですけど、マンハッタン中地下鉄が張り巡らされているので、とても便利です。慣れちゃえば、こっちのもんですね。
-そうすると、ニューヨークはもうバッチリですね。
中島 そうですね。大丈夫だと思いますよ。
-移動はほとんど地下鉄を利用されていた感じですか?
中島 地下鉄が多かったですね。1ヶ月のフリーパスを80ドルで購入しました。どこでも乗り放題なので、便利でしたよ。バスも使いましたが、バスで行ける距離は歩いても行けるし、運行スケジュールもよくわからないので、地下鉄が一番便利で確実でした。タクシーも使わなかったです。現地の人も言っていましたが、どちらかというとドライバーは移民の人が多くて、道を知らないことも多いんです。だからマンハッタンの中でもホテル名を言ってもわからないので、何丁目に行ってくれって言わなきゃいけないんですよ。それから、マンハッタンを出てしまうと帰ってくるのに時間がかかるので乗車拒否をされてしまう、という話も聞いたので、タクシーは使わなかったですね。
-海外の方とうまく付き合うコツはありますか?
中島 まだよくわかりません。あるとすれば、話すこと、しゃべりかけることだと思います。先生とのコミュニケーションで一番問題だったのは、練習をしていないのか、練習をしてもできていないのか、それを分かってもらうことでした。ただ「やりました」、「ベストは尽くしているんです」だけでは伝わらない。言うべきこと言って、自分の情報を伝えるようにしていました。
-留学中に何か困ったことはありますか?
中島 外出中のトイレですね。楽器とかバッグを持って大荷物でうろうろしているので、急にトイレに行きたくなったときに困りました。公衆トイレは危ないらしいんですよ。ホテルのトイレの方が安全だと言われている。そういうところまで行かなければいけないのが大変でした。あとは、食べ物も困らなかったし、水も大丈夫でした。ほとんど東京と勝手が変わらないので、何も問題はありません。意外とすんなり自然に入っていけましたね。
-参加してよかったと思う瞬間はありましたか?
中島 外国人の友達ができたときですね。語学学校で仲良くなって、一緒にニューヨークのブルーノートに行ったんです。ブラジル人とロシア人とイタリア人で、みんな出身国がバラバラで、それでも同じ拙い英語を一生懸命使ってコミュニケーションを取ったんですよ。今までまったくバラバラの国で会うはずがなかった人間たちが、集まって同じものを見ているというのは、不思議だし、すごいなと思いました。
-日本とアメリカで大きく違う点はありましたか?
中島 みんな音楽が好きですね。音楽を鑑賞する、楽しむという文化がすごく根付いていて、みんなでワーッと盛り上がるんです。そういうところがいいなと思いましたね。本当に音楽の街で、どうしてこういうところでジャズが発展してきたのか、ということがなんとなくわかりましたね。有名なブルーノートとかヴィレッジ・ヴァンガードとかコットンクラブだけじゃなくて、いたるところにジャズクラブがあって、街中に音楽で溢れているんです。ストリートミュージシャンもたくさんいて、電車に乗っていても必ずミュージシャンが乗ってくるんです。ギターの人もいれば、バイオリンを弾きながら入ってくる人もいる。
-弾きながらですか!?
中島 一人弾き終わっても、次の駅で、必ず乗ってるんですよ。“Good evening!”って入ってきて、「楽器をやるから聞いてくれ」って。それで弾いて、演奏が良ければ、みんなお金をくれるんですよね。その辺が寛容ですよね。音を出しても別に何も言わない。地下鉄の中では、退屈しなかったですね。ちっちゃい子も来るんですよ。親子でお父さんがギターで、子供が笛を演奏していたり……。もう本当にさまざまです。駅でもペンキの空いた缶でドラムをやる人もいれば、ソプラノサックスをやっている人もいるし、トランペットを吹き始める人もいれば、チェロを弾いている人もいる。東京でそんなことをしたら、追い出されますよね。東京でもそういうことをしたら、おもしろいと思うんですけどね。すごくいいですよ。
-生活面では何か違いはありましたか?
中島 すべてが違うんじゃないですかね。ホストファミリーですが、どこかに出かけても家にすぐ帰ってくるんです。仕事をしている人も会社が終われば、すぐにバーッと帰っちゃいます。あんまり、どこかに行って飲んだりしないんです。アメリカ人って、特別な日以外はそこまでお酒を飲んだりしないみたいですね。パーティーのときは、お酒を飲んだりもするんですけど、普段の生活は質素ですし、着ているものもすごく質素です。
-ドラマなどでのアメリカのイメージとはちょっと違いますね。
中島 若い人は違うのかもしれませんが、ね。家族をすごく大事にしていますね。食事も、必ず家族全員で食べますし、食後はみんなで手をつないでお祈りをして神様にありがとうございました、って必ずやるんですよ。ちっちゃい子も恥ずかしがらずにやります。日本だと、家族でもバラバラに食べるし、会社の帰りに飲んで帰ったりする。そういう生活習慣は、自分はアメリカの方が好きなので、こういうのが大事だよな、って思いました。
-なるほど。他に感じたことはありましたか?
中島 アメリカ人は好戦的なイメージだったんですが、ちょうど留学中にグルジアに軍隊が侵攻したんです。そのときに、国連の建物に行ったら、大勢のアメリカ人が「ロシアから軍隊を撤退させてくれ」ってプラカードを持って、「戦争はやめろ」って訴えていたんです。アメリカ政府は、テロのこともあって、攻撃的なイメージがありますが、アメリカ国民はもう全然望んでないんですよね。もう戦争はたくさんだっていう雰囲気でした。
-なるほど。
中島 それから、本当に適当でしたね。地下鉄のアナウンスとか丸々間違っていて、完全に別の路線を指していたりするんですよ。なので、実際に自分で見て確認するしかありません。駅員の中にも、80ドルのチケットなのに100ドル寄越せって言って、20ドル取ってしまう、そういうことをする人はいるんです。やはり勤勉でまじめなのは日本人だなと思いました。どこの国も一長一短で、良いところもあれば悪いとこもあるんですよね。
-留学前にやっておいた方がいいことはありますか?
中島 語学ですね。CDを使って、少し耳を慣らしておいた方がいいかもしれないです。自分は大丈夫だろうと考えていたんですが、最初の1週間はついていくのが大変でした。語学学校の先生さえもすごく早口に感じて、慣れるのに時間がかかりました。ダイハードでもなんでもいいから、ニューヨークの映画を観たりするのもいいと思います。背景を知っておくと、おもしろいですしね。
-レッスン前にやっておいた方がいいことはありますか?
中島 自分はそんなに上手ではないし、音楽の知識もないので、アドバイスできることはないんですけど、とりあえずニューヨークに行ってジャズを勉強したい人がいるなら、ある程度、譜読みに慣れておいた方がいいと思います。それから、たくさん音楽を聴いておいた方がいいですね。
-似たようなことになるかもしれませんが、今後、留学する人にアドバイスをお願いします。
中島 留学を迷っている人は、どんどん行ってしまって構わないと思います。技術に自信があればどんどん行った方がいい。自信がなくても、どんなレベルの人にも合わせてくれると思うので、行ってしまっていいと思います。僕自身、日本の恥さらしをしなかったか不安なんですけどね(笑)。
-今後はどのように音楽と関わっていきたいですか?
中島 基本的に今のレッスンを続けていこうと思っています。例えば来年は友達の結婚式があって、何か一緒に演奏をしようと話しています。趣味の範囲なんですけど、これから一生付き合っていけるいい相棒ができたかなと思っています。
-お友達がバイオリンを始めてよかったですね。
中島 そうですね。負けず嫌いなんで、負けてなるものかと思って、今でも一緒にやっています。楽器が日常にあると毎日が楽しくなってきますよね。
-また海外で勉強したいと思いましたか?
中島 機会があればいつでも行きたいです。1週間後でも行きたい(笑)。とにかく毎日が楽しかったです。英語で授業を受けていることも楽しかったし、いつでもジャズを聴きに行けるし、ニューヨークはいいところでした。そうですね、1年くらいいてもいいかな(笑)。
-4週間は短かったですか?
中島 みっちりでしたね。1年くらい向こうにいたかったですけど、体力的にバテてくるので、語学学校もレッスンもあるこういうプランだったら4週間がベストかもしれませんね。2週間だとちょっと少な過ぎるかな、3週間でもまだまだ、ちょうど4週間目に慣れてくる感じなんですよね。レッスンも流れも覚えて、楽器もエンジンがかかってきたかな、というところで帰らなきゃいけないんで、あともう1週間あってもいいのかな……。50日くらいのプランがあるといいですね。
-最後に何か言い残したことはありますか?
中島 ニューヨーク、アメリカはおもしろいところですよ、ということですね。今回は時間がなくて行けなかったのですが、博物館もあるし、ワシントンD.C
に行って、ホワイトハウスを見ることもできますしね。見るところが盛りだくさんですね。
-そうですね。今日は本当にありがとうございました。