「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回、チューリッヒでご活躍中のパルツ福永麻里(パルツ フクナガマリ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2011年9月)
―パルツ福永麻里さんプロフィール―
相愛高校音楽科を経て、相愛大学音楽学部を首席で卒業後渡欧。
安田生命クオリティオブライフ文化財団、C.M.Ziehrer財団より奨学金を受けウィーン国立音楽大学にて研鑽を積み、最優秀ディプロマを取得。
オーストリア国際室内楽音楽祭最優秀賞、第10回ヨハネス・ブラームス国際コンクール第1位など受賞も数多い。
W・ヒンク、T・ブランディス、Z・ブロン等のマスタークラスを受講。
森田玲子、R.ランダッハーの各氏に師事。
在学中よりフロリレギヴム・ムジクム・ウィーンのコンサートマスターを務めるかたわらウィーン室内フィルハーモニーに在籍。ウィーン放送交響楽団を経て、現在チューリッヒ・トーンハレオーケストラ所属。
ウィーン・トーマスティック・インフェルド社、弦開発プロジェクト契約ヴァイオリニスト。チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団バイオリン奏者。
― 最初に、簡単な略歴を教えてください。
福永 大阪の相愛高校音楽科、その後は相愛大学に行きましたけれど、大学卒業と同時にウィーンの音楽大学に留学しました。
― ウィーンでは長くご活躍されていたのですか。
福永 ウィーンは最初は2年ほどの留学のつもりで来たのですが、いればいるほど帰りたくなくなってしまって、ウィーンで就職することを考え始めました。音大在学中はウィーン室内フィルハーモニーなどで演奏していたんですけど、最終的にはウィーンの放送交響楽団に入団しました。
― ウィーンからスイスに行かれるきっかけみたいなのはあったのですか。
福永 ウィーンにいる時から私にとってスイスのトーンハレオーケストラはすごく憧れのオーケストラだったので、ぜひ機会があればいいなと思っていたら、オーディションがあったので、それを受けて運良く入ることができました。だからウィーンから引っ越ししてきました。
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
― 現在所属されているトーンハレオーケストラは有名なオーケストラだと思いますが、どういった特色がありますでしょうか。
福永 国際的というか、いろんな人がいっぱいて、まあスイス自体が結構グローバルな国なのですが。演奏もいろんな個性が集まっていて・・・(笑)。そのせいか開放的で自由というかしなやかな響きのするオーケストラだと思っています。
― そちらのオーケストラは、日本人の方はいらっしゃるんですか。
福永 はい。結構います。7人ぐらい日本人がいると思います。こんなに日本人の多いオーケストラも少ないと思います。
― 逆に、ほかの国の方とかも結構いらっしゃいますか。
福永 はい。スイス人は3分の1ぐらいだと思います。
― では、3分の2ぐらいがほかの国の方ということですか。
福永 はい。門戸が広いというか、スイス人も日本人も同じ条件でオーディションしますし、国籍はぜんぜん関係ないですから、外国からどんどん素晴らしい音楽家が入ってきます。公用語は一応ドイツ語ですが、様々な言語が飛び交っているし、演奏もそれぞれお国柄がにじみ出ていたりして・・・いろいろ面白いです。
― 音楽に興味を持たれたきっかけというのは何だったのですか。
福永 両親が両方ともアマチュアのバイオリニストで、休みになったら父も母もバイオリンを持って近くのアマチュアオーケストラの練習に行くような家庭だったので、バイオリンを習うのが普通みたいな感じで、世の中の人はみんなバイオリンを弾いてるもんだと思っていて(笑)。両親の友達もみんなアマチュア関係の人で、バイオリンは自然にちっちゃい頃から始めてたというか、おもちゃ感覚で持っていたようです。私はいつ始めたかというのは全く覚えていないです。気付いたら弾いていた・・・。
― ではクラシックにご興味を持たれたきっかけというのもあまり記憶には残っていないという感じでしょうか。
福永 そうですね。両親のアマチュアオーケストラの練習や合宿にちっちゃい頃から連れて行かれて、大人たちが練習しているその横で遊んでたり、コントラバスケースで隠れんぼしたり・・・(笑)。だから、クラシックとして認識したわけじゃなくて、音楽とはそういうものだと思っていました。元々家でもクラシック音楽しか流れていないという中で育っていたので・・・。
― クラシック音楽をやるに当たって、ウィーンの良いところは何でしょうか。
福永 クラシック音楽はウィーンが中心地で、いまでもその雰囲気は感じることが出来ます。モーツァルト、ベートーベン、ブラームスなどがこの地であんな曲を書いたのだと思うと、本当ゾクゾクします。この空気を肌で感じるのと、彼らの使っていたドイツ語を体感するのは日本にいたら絶対できないことです。そういう歴史だけでなく、今でもウィーンは音楽の都だから、いろんなコンサートが毎日にように聴ける。そういうのもあって私はウィーンで勉強できて本当に良かったと思っています。
― 卒業してすぐにウィーンに行こうと思われたのですか。
福永 大学入って留学するまで日本から出たことがなくて、全然知らなかったんですよね。ウィーンってドイツのどこ?みたいな感じでした(笑)。きっかけは、大学時代にアルバン・ベルクのバイオリンコンチェルトを練習していたのですが、ある部分に奏法指示として「ウィーン風に」と書いてあって、「ウィーン風に」にというのがもちろん分からなかったんです。先生に聞いたら、先生が「それはウィーンに行って自分で探求してくるべきね」とおっしゃって、それもそうだなと思って、その年の大学3年生のときやったかな・・・。はじめてパスポートを取って(笑)。どうせ行くなら観光旅行ではなくウィーンで生活してみたくて、1ヶ月くらい滞在しました。そこでちょっと生活してみたら、目から鱗。「ここやったらもっといろいろ勉強できる」と思ったことがいっぱいあったので、それでウィーンに留学することになりました。
― 幼い頃から行かれていたのかなと思っていましたが・・・。
福永 両親は私がアマチュアになるとばっかり思っていたみたいで(笑)、だから実は、そんなたいした音楽教育は受けなかったです。親と一緒にバイオリン持って遊んでいるみたいな感じで、練習をさせられた記憶も全くないですし。だから私はプロをめざすようになってから結構技術的にも音楽的にもいろいろ大変でした。遊びでずっとやってきたので(笑)。
― ウィーンに行ってからも技術面とかで苦労された部分はありますか。
福永 ウィーンの先生に付いたら半年間、開放弦しか弾かさせてもらえなかったです。技術をゼロからやり直さなきゃいけないからと曲を弾くことを禁止されて、毎日「ラ」ばっかりでした(笑)。
― そういう練習を半年続けて、そこから今度は曲をというような感じだったんですか。
福永 そうですね。結局私は先生に6年間付いていましたが、まずは徹底的に右手を直して、それでも最後まで右手のことは言われ続けました。ウィーンの先生が皆そうなのかは分かんないですけど、すごく時間を取ってもらって・・・。日本の音大では、実技試験が半年ごとにあって課題曲や練習曲に追いまくられて、それをこなすだけで大変でしたが、そういうのがウィーンではないんですよ。入学試験の次が卒業試験みたいな。だから時間に追い立てられることなく、いちど原点に戻ってじっくり自分と向き合う余裕がありました。私にはすごく合っていました。
― ウィーンの悪いところは何かありますでしょうか。
福永 悪いところは、保守的というか、音楽の都としての自負があるから、外国人はあまりウェルカムじゃないというところでしょうか・・・。
― ウィーンは留学生とかがたくさんいそうですが・・・。
福永 留学しているときには何の問題もありませんでした。勉強はちゃんとできるし、良かったんですが。いざ働こうと思ったときにはやっぱり難しいところはありました。外国人ですから。
― 学生のときとはまたちょっと違ってという感じでしょうか。
福永 オーケストラに入りたいと思っても、まずそのオーディションの招待が来ないんです。
― 現在所属されているオーケストラのほうがそこら辺はオープンですか。
福永 全然違ってオープンです。ウィーンは、勉強済んだらさっさと帰れという感じでしょうか(笑)。もちろん人種は関係ないと思っている人が大半なんだろうとは思いますが、やはりウィーンで働いていると、聞こえよがしに「最近外国人が多いから音がいまいちだなぁ」とか言われたことはあります。ウィーンにいるときはこういうことが日常茶飯事でした。チューリッヒに引っ越してきてからは、そんなことは全くないです。だから、私は、日本人の音楽家としては、チューリッヒのほうが過ごしやすいなと思います。ウィーンは音楽家がいろんなところから集まって来るし、音楽大学もいっぱいあるし、ウィーンと言うブランドとしての自負もあるし、競争率が高い。だからどうやって他人を蹴落として上に行くかという厳しい生存競争がありました。まあだからこそウィーンの良さというのは保たれているんだとは思いますが。私にはキツいところがありました。
― 現在ご活躍されているスイスでは、同じように日本人でご活躍されている方は多いのでしょうか。
福永 そうですね。みなさん、いつどういう経緯でスイスに来たのかとかはよく分からないですが、素敵な先輩がたくさんいらっしゃいます。
― ウィーンに留学することで一番重要なことは何でしょうか。
福永 日本でもすばらしい先生方がいっぱいいるし、技術的にバイオリンを勉強するというのは今の時代ではどこでもできると思います。でも、ウィーンはいい演奏が毎日聴けます。本当に世界各国の超一流の演奏家がが入れかわり立ちかわり・・・。私は学生時代毎日のように演奏会やオペラに行ったのですが、音楽的にすごい勉強になりました。
― いろんな国のオーケストラがウィーンで演奏会をやるんですか。
福永 そうです。ウィーンのムジークフェライン(楽友協会)では世界の著名なオーケストラがどんどん来るのですが、立ち見だと安いんですよね。いつも学生が立ち見席にうようよいます。多分500円ぐらいじゃないかしら。
― ウィーンでお仕事するに当たって日本人の有利な点は何ですか。
福永 日本人でよかったと思ったことは一度もないです。別に日本人が嫌われているとかアジア人がどうとかじゃなくて、ただメリットにはならないですよね。室内楽の演奏会とかでも、やっぱりウィーンということを売りにしている演奏会が多いので、見た目ヨーロッパ人じゃなかったらちょっと遠慮してくださいと言われたことはあります。
― 結構、露骨ですね。
福永 まあ、そういうもんだと思います。仕方ないです。でもやはりガッカリしてしまいますよね。日本人で良かったなと思ったことはないですが、こういう経験のおかげで、他人がなんと言おうと自分の信念を強く持って自分のために頑張るというスタンスが出来て、少々のことではへこたれなくなりました。いい社会勉強ができたとポジティブに考えています。
― ウィーンが日本人にとって不利な点というのは、ウィーンがちょっと保守的なところでしょうか。
福永 そうですね。でもそこがウィーンのいいところと言えばいいところです。反対側から見れば・・・。
― ウィーンの伝統を守るみたいな感じでしょうかね。
福永 ええ。ウィーンはそれでいいんだと思います。なんだかんだ言いましたが、そんな気質も含めて、私はウィーンが大好きです。
― 初めてウィーンへ行かれたときの第一印象はどうでしたか。
福永 何か・・・埃かぶってるという感じでした(笑)私はウィーンが外国で初めてで、ヨーロッパ自体が初めてだったので、ウィーンがどうとか分からないままだったんですけれども。
― 外国に行かれるのもウィーンが初めてだったということでしょうか。
福永 そうなんです。
― 麻里さまにとってクラシック音楽というのは、一体何でしょうか。
福永 「音楽は私自身」とか「私の人生」とか言ってみたいですけど(笑)。でも私にとってはそこまでウェイトはないです。いろいろな生き方があると思うし、他にやりたいこともいっぱいあります。ただ音楽は私の一部分やとは思います。お料理みたいなものかしら。手を抜こうと思ったらいくらでも抜けるし、でも・・・おいしいものが食べたいじゃないですか。おいしいものを食べるためには、いろいろなレストランに行っていろんな味も知らなきゃいけないし、自分であれやこれや考えて試してみて、たまには共同作業しながらまわりと意見を交換して、日々経験を積み重ねて、それでおいしいものが出来上がっていくんですよね。そんな感じの認識です。どうせ食べるならおいしいものをと・・・(笑)。
― すごくイメージがわきますね。
福永 ええ。そうですね。
― ほかにもやりたいことがあるとおっしゃいましたが、今後の麻里さまの音楽的な部分での夢や目標はありますか。
福永 そうですね。憧れていたオーケストラに入って、私が有難いと思っていることは、このオーケストラは超一流の指揮者やソリストたちと共演ができること。オーケストラの一員として、凄い音楽家たちと同じ時間を共有できて、同じ音楽体験ができる。オーケストラの先輩たちから、昔どういうすばらしい演奏家がどういう演奏して、とかそういう素敵な思い出話をよく聞くんですよ。私が録音でしか聴けなかった歴史的大指揮者とかも実際に体験している先輩がいるんです。私自身の将来の目標とかじゃないんですけど、歴史に残る名演奏というのをオーケストラの一部分として体験したいというのが夢ですね。音楽をやっていて良かった、毎日の努力やこれまで勉強してきた道のりは、この為にあったんや!と心から思える瞬間は本当に幸せです。でもそのためには毎日気を抜かずに頑張らなくちゃいけないですけどね。
― 今所属されているオーケストラというのは、かなり老舗というか昔からあるオーケストラですよね。
福永 そうですね。
― 有名なソリストさんとか指揮者の方が来られるんですね。
福永 そうです。オーケストラがよければよいほどいい指揮者とかソリストが来ますから、オーケストラ全体のレベルアップも大事なんです。先輩方からは技をどんどん盗んで伝統を受け継いでいかなきゃと思うし、元気な後輩が入団してオーケストラが活気付くのも大切だと思います。良い演奏家と共演すると同じ曲でも全然体験できることが違うので、そういうのが積み重なって、もちろん私自分自身のためにもものすごい勉強になりますし、いろいろな体験をこれからもできるのが楽しみです・・・。なので私自身で音楽活動の幅をもっと広げたいとか、そういう気はないんですよね。
― そうなんですか?
福永 私一人の力では、そんなすばらしい指揮者とかソリストとかと共演することは絶対ないですからね。やっぱりオーケストラの一員として一緒させていただけているということだけですごくありがたいと思っています。
― 今、麻里さまもプロの音楽家としてご活躍されているかと思うのですが、音楽家として活躍する秘訣、成功する条件をお持ちでしたら教えていただきたいです。
福永 それなりに演奏ができることがまず第一条件ですけど・・・。それ以外であれば、いろいろなものに挑戦していくべきですよね。待っていても何も来ないですからね。こっちは、待っていたら本当に何も来ないです。いくら上手でも、じっとしていたら「上手ね」で終わってしまうので、いろんなものに興味を持っていろんなものに挑戦してほしいです。コンクールでもいいし、室内楽でもいいし、オーディション受けるのでもいいし…こちらはいろんな先生のレッスンを受けに行くことができますし、先生は一人だけではなく、この人すごく上手だなと思ったら、その人に直接申込んでレッスンを受けさせてくださいとか、そういうのが言えるところなので、自分の道は自分で切り開いて、ということが大切ですね。
― もちろん技術は必要ですね。
福永 でもそれは今日、本当に上手な人たくさんいますからね。だから、チャレンジして売り込んで行くのも大切ですよね。
― 結構そういうのは、麻里さま自身もされたんですか。自分を売り込みにいったり…
福永 売り込みに・・・それがね、本当に難しいですよね。でもせっかく留学してくるんだったら、いろいろチャレンジしていくべきだな、と思います。
― 今、同じように海外で勉強したいって思っている方がたくさんいるかと思うのですが、アドバイスがあったらぜひお願いをしたいです。
福永 おこがましい(笑)そうですね。最近は、外国っていっても身近なものじゃないですか。何十年か前、簡単に留学といったってできるものじゃなかったけど、最近、すごく気軽になって、それはすごくいいことだと思うし、留学というのが特別なことじゃなくなっていると思います。だから、みんなとりあえず気軽に行ってみたらいいんじゃないですか。昔だったら、留学したら一花咲かせてこなければ・・・人生を賭けて海外へ行く、という感じだったんだと思いますけど、最近は、インターネットも普及して情報も簡単に入るし、気軽に行ってみて、まず行ってみて合わなかったら合わないで帰ってきたらいいし、それこそいろいろチャレンジしていろいろ見て、留学というのをそんな大きく考えずにやってみたらいいと思います。とにかく、何かやってみてほしいです。大きな目標を持って留学するべきとかじゃなくて、とりあえず見てみてということができる時代ですよね、今。
― 昔はやはり、留学するのは大変でしたか?
福永 そう思います。昔だったら、外国の先生につきたいなと思っても、まずどうやって、どっからとっかかりをつくっていいのかというのが、まるで分からなかったですよね。それに比べて、最近はいろんな可能性があるので、そういった機会どんどん使っていったほうがいいと思います。
― ステキなアドバイス、ありがとうございました!
福永 ありがとうございます。