ピルキントン薫子さん/バークリー音楽大学講師/アメリカ・ボストン

ピルキントン薫子さん/バークリー音楽大学講師/アメリカ・ボストン
ボストン在住のジャズシンガー。バークリー音楽大学ヴォーカル科講師。
日本ではプロの弾き語りだったが、音楽的向上を目的に渡米。バークリー音大でジャズボイス、作曲を学ぶ。卒業後ボストンに留まり、音楽活動を本格的に開始。ジャズシンガー、バンドリーダーとしてボストンとその近郊のジャズクラブ、ライブスポット等で活躍中。ボイストレーナー、ジャズボイスコーチとしても経験豊富で、現在は母校のバークリーで教鞭をとる。 ジャズインプロのグル、Hal Crookに長年師事して会得した彼女のスキャットは地元のプレーヤー、シンガーの中でも高い評判を得ている。又、注目のボイストレーニングメソッドSomatic Voicework™(ロヴィトリメソッド)の認定ボイストレーナーである。
自主制作CD “Joy Spring”(2000), “Bright Side of My Life”(2014) はスタンダード、ブラジリアンそしてコンテンポラリージャズのミックス。地元のトップレベルプレーヤーの演奏と彼女自身,そしてGreg Hopkins, Bob Pilkington, Mark Shilanskyによるオリジナルアレンジメントが楽しめる。両CD共にAmazon.com (USA), iTunes, CDBabyで絶賛販売中。
-まず1つ目の質問ですが、簡単な略歴の方をお教え頂いても宜しいですか?

ピルキントン薫子先生 日本ではバンドで歌ったりしながら、仕事は新宿で弾き語りをしていました。でも自分の音楽性を物足りなく思っていました。その頃に、周りの友人がバークリー音楽大学に行っていたので、結局はそこに留学する事にきめました。そして卒業をして、それでこっちで結婚して、そこからもうずっと住んでるっていう感じですね。歌やピアノは日本でもやってはいましたけれど、歌を教えるのは卒業してからやり始めましたね。
-じゃあ来られて、すぐバークリー音楽大学にご入学されて?

ピルキントン薫子先生 はい。
-そちらでボーカルを学んでいたという感じですかね?

ピルキントン薫子先生 そうですね。勿論、昔から歌は歌ってたんですけれども、所謂、本格的な勉強ということになったら、それが一番はじめですね。子供の時にピアノは習っていましたが。歌もレッスンなど受けましたが、発声となると、当時はクラッシックの先生しかいませんでした。
-なるほど。そうなんですね。声楽と言いますか。

ピルキントン薫子先生 そうですね。一応、歌を教える環境はありましたけど、ちゃんとした環境が(現在の様に)整っていなかったような気はします。こっちに来た時も、バークリーのボイスデパートメントは今よりずっとちいさかったです。その後、大変大きくなって、今やバークリーではボーカリストが一番多いですね。
-そうなんですか。凄いですね。先生によって教えるスタイルはやっぱり違ったり?

ピルキントン薫子先生 全然違います。ここのバークリーの特徴って言うのは、アーティストを集めてきて教えさせるっていう事ですから、アーティストのそれぞれやってる事を尊重する形が多いんで、そういう意味で、このメソッドじゃなきゃいけないっていうのは無いですね。勿論ある程度の統一性はありますが、本当に様々です。
-個性を伸ばすっていうような指導方針というか。

ピルキントン薫子先生 指導方針っていうか、先生に関しては、各々の先生がやってることを尊重するっていう形ですね。(ポピュラー音楽中心の)カリキュラムに関してもアメリカ国内の他の音楽大学とは一線を画していますね、私の知る限りですが。
-バークリー卒業されて、個人的にもシンガーとして活動しながら、バークリーでも先生としてお仕事を始められたというような形ですかね?

ピルキントン薫子先生 バークリーではここ数年夏のファイブウィークで教えてましたが、正式採用は今年からです。とても人気のある仕事場で、中々入れないんですよ。今回、もう一人一緒に採用されたのが韓国人で、アジア人ではこの2人がボイスデパートメントでは初めてだと思います。
-凄いですね。もうそれは薫子さんのほんとにキャリアの積み重ねの結果と言いますか、なんかそういう感じはしますけどね。

ピルキントン薫子先生 しつこかったからかもしれませんね。
-そもそも音楽にご興味を持たれたキッカケを教えて頂けますか?

薫子ピルキントン先生 私は別に音楽家の家に育ったとかそういう特別の環境で育ったのでは無くて、ただほんとに物心ついた時から音楽が好きで。特に、アメリカンポップが凄く好きでね。子供の時からそればっかり聞いていたような。今あるかどうか分からないけど、昔って米軍の放送があったんですよ。まだあるのかな?
-いや、もう多分ないですね。

ピルキントン薫子先生 AMだったんですけど、昔そういうのがあって、そういうのばっかり聞いてていました。そんな感じですね。それで好きになって、それプラス英語ができた訳じゃないんですけども、英語の発音が好きでね。なんかアメリカ英語の。その歌も、やっぱり英語の歌が好きだったんですね。
-当時、一番衝撃を受けたり、影響を受けたアーティストっていますか?

ピルキントン薫子先生 私はやっぱりモータウンとか、所謂R&Bが好きでした。 ジャズも歌ってはいたものの、まだ中途半端でした。
-ソウルとか。

ピルキントン薫子先生 そう。モータウンとかジャクソン5とか大好きでしたよ。
-カッコいいですよね。

ピルキントン薫子先生 ジャクソン5かっこよかったし。それで、あとちょっと古いけど、もっと古いけど、オーティス・レディングとかね。アレサ・フランクリンとか、チャカ・カーンとか、あとはマリーナ・ショウっていう、日本では結構人気があるジャズのシンガーなんですけど、そのマリーナ・ショウとかチャカ・カーンっていうのは凄い大好きでしたね。
-じゃあ、そもそもはほんとソウルシンガーというか。

ピルキントン薫子先生 になりたかったです。
-そこからジャズに行かれたんですか?

ピルキントン薫子先生 ジャズは日芸(日本大学芸術学部)の軽音楽部にいた頃にやり始めました。周りにジャズを演奏している友人が多くて、自然と歌うようになりました。ジャズ喫茶にもよく行って聞いてました。そんな事からジャズを少しやり始めたんですけども、やっぱりR&Bが凄く好きでね。バークリーに入った途端に、今、レイラ・ハサウェイっているでしょ?あの人が卒業する頃に私が一年目で、学校のコンサートでパフォーマンスを見て圧倒されました。他にも素晴らしい学生のR&Bシンガーがたくさんいて、自然に歌っていてとってもかっこいい。ものすごく感動するとともに、私にはできない、と思いました。日本にいた頃は漠然と、歌がうまくなれば急にああいう風に歌えると思っていたのですが、それは違っていたなと思うと共に、ジャズという音楽をもっと勉強したいと思うようになりました。自分の音楽ができるかなって思ったんですね。ジャズを本格的にやる事になったきっかけは、スキャットの授業で、「あっ、これ楽しいな」って思った事。それからインプロを本格的に勉強しはじめました。そして、音楽理論、上級のアレンジや作曲の授業もとって、色々吸収して、自分にしかできない音楽をつくれるようになりたい、と思うようになりました。こちらで暮らしていると、物真似でない、オリジナルな物が大切だと強く感じるようになりましたね。
-そうですね。やっぱりオリジナリティーっていうのは、凄くアーティストとしては追及していく部分ですよね。

ピルキントン薫子先生 そうですね。
-本場アメリカに渡航して音楽を学ぶという志をお持ちの方がたくさんいらっしゃると思いますが、ジャズをやるにあたってアメリカの良い点と悪い点をお教え頂けますか?

ピルキントン薫子先生 良い点はジャズはアメリカで産まれた物だから、その文化、土壌、を吸収しながら勉強できるという事ですね。しかしながら、悲しい事にこの国ではジャズが尊重されてない傾向があります。ライブジャズが聞ける場所も昔に比べて減る一方です。やはりポップスが人気ありますね。日本でも最近そうなってきたって誰かに聞きましたけど。
-日本でいう雅楽や長唄とかみたいに、ほんとの日本の伝統芸能なのに、逆にそっちの方があまり馴染みがなかったりするというか。

ピルキントン薫子先生 そうですね。なんかジャズと言えばお客さんを無視して延々とアドリブするようなイメージを持ってる人達っているじゃないですか?そういう演奏ばかり聞かされれば、 お客さんも離れて行きますね。本当にいいジャズは、素人さんにも楽しんでいただけるべきだと思いますが。そして、アメリカの良い点というと、誰でも参加できる、という事もあると思います。特にここボストンやニューヨークにはメチャメチャ上手いミュージシャンがいっぱいいますが、別に全然上手くないような人達もたくさんいます。どんな人でも演奏を楽しくできる環境がありますね。ジャムセッションが盛んに行われています。
-さっき、薫子さんがおっしゃったように、間近で見てほんとにこんな人いるのかみたいな。そういう衝撃を受けるというのはやっぱり良い点ですよね。ある意味。

ピルキントン薫子先生 日本から来ている方達の事になりますが、こちらでも演奏活動や教鞭をとっている方達が結構いますね。日本人は4歳くらいから、ピアノを習い始めて、よく練習するから、基礎がしっかりしている人達が多いですよね。最近はピアノだけでなく、色々な楽器でも上手な人達が増えていますよ。歌は、英語の事もあって中々難しいですけれど。
-なるほど。発音とか。

ピルキントン薫子先生 発音がそうだし、やっぱり英語で育ってないから。私がこっちで勉強したいって思った理由が、歌を英語で歌いたかったんですね。英語の意味が分かるだけでなく、英語のニュアンスで、本当の意味で英語で歌えるようになりたい、と思いました。
-ほんと重要な点だと思いますね。アメリカを実際、留学先とすることでもっとも重要なことっていうのは、何だと思われますか?

ピルキントン薫子先生 まずは、やっぱり英語だと思います。でもそれよりも、最も重要な事は、絶対やるぞみたいな決意。それと、どうしてここに来ているのかという目的感でしょうか。それが無いと、流されます。
-そうですね。やっぱり、熱意が重要ですね。

ピルキントン薫子先生 そうです。こっちで成功してる人見ると、やっぱりみんな熱意がある。「あっ、凄いなあ」っていう人、やっぱりいますよ。
-そうですね。薫子さんもそうなんですけども、アメリカで活躍をするにあたって、日本人ということが凄く有利だったり、あと不利だったりっていうようなポイントってありますか?

ピルキントン薫子先生 私個人では多分ね、あんまり有利なことないと思うんですよね、私は日本の文化、踊りやったとか、お琴やったとかそういうのが全然なくて。なんか日本人(のアイデンティティ)を出さないでやってるから、実は凄く損してるんだろうと思うんです。やっぱり、日本の文化(のバックグラウンド)をちゃんと持ってて、お琴とか三味線とかが出来て、それで、それをやりながら上手く西洋音楽と併せてっていう風なことをやってる人たちっているし、そういう人たちは得というか、日本人独特のカラーをだしてやっていけますよね。でももしかしたら「日本人のやってるジャズってどんなんだろう?」って言って、ちょっと面白いなって思ってくれる人もいるかもしれないですよね。損か得かって言うと、よくわかりませんね。(笑)私もある意味では典型的な日本人というか、何となく日本人って自分の日本人ぶりを何となく恥ずかしいと思ったりするような部分ってありませんか?日本人で引け目を感じてるって言うか。そうではないけど、何となくアメリカ人よりも一歩下に自分を置いちゃうみたいな。
-それは、劣等感と言いますか。

ピルキントン薫子先生 それですね、そんな劣等感みたいなのはやっぱり持ってたらダメだなというか。私も、どうもその傾向性があったけれど、なんかここ何年かは開き直って、「もうこれでいいかなあ」っていう。そう思い出したら少し楽になって、自分をもっと前に出して仕事もとれるようになってきました。何か違う事を特別にする訳ではないけれど、自分に対する確信は大切ですね。何をするにしても、劣等感は持つべきでないですね。
-もっとオープンにと言いますか。

ピルキントン薫子先生 オープンに、それで日本人だからとか何とかよりも、その自分は自分で行こうっていう気持ち。自分は日本で育って、日本の文化を持ってアメリカに来てるけども、これでやって行こうっていう、そういう姿勢が凄く大切なんじゃないかなあって。さっきの話に戻るけども、それがある人っていうのは、成功してらっしゃいますね。
-そうですね、はい。そんな中で、自分が表現するこのジャズという音楽を言葉で表すとしたらどういうものになりますか?

ピルキントン薫子先生 そうですね。難しいですね。
-さっき、ソウルミュージックから入られて、ジャズという所に自分のオリジナリティーを入れられる所を見付けられたという話を僕は非常に印象的だったんですけど。やっぱり、そういう意味では、自分をオープンに表現する武器というか、手段と言いますか、そんな捉え方ですかね?

ピルキントン薫子先生 私はあんまり自分では曲は書かないんですよね。ただ、自分がするのは、やっぱり所謂、ジャズの曲でも何でも自分なりのアレンジをして、それで自分なりのものとか自分が表現したい形に変えてやっていくっていうのが、私がずっとやってきたことなんです。スタンダードなジャズの曲もそうだし、最近はなんか昔のポップみたいなのもやってるんですけど、それが面白くて。やっぱりいろんな曲を(自分なりに)アレンジしていくのが凄く楽しいし。そしてやっぱりスキャットかな。それが一番好きですね。
バークリーでは世界中から来ている生徒さんを教える事ができて楽しいですね。かなり上級者もいて、こちらの勉強にもなります。ヨーロッパからの人も見ていますが、又アメリカ人とは違ったジャズへのアプローチです。
-なるほど。薫子さんなりに分析した所でいくと、ヨーロッパのジャズとアメリカのジャズの違いって何だと思いますか?

ピルキントン薫子先生 やっぱり、アメリカって言ったら、やっぱりブルース。ジャズをはじめ、今のポップスも源流はプルースですよね。アメリカのジャズは、私感ですが、どこかにいつもそれが感じられる。でもヨーロッパとなると、その土臭さのようなものがなくなっているような印象があります。そして、ジャズをもっと大切にしていると思います。
-非常に面白いですね。

ピルキントン薫子先生 面白いですよ。
-今後の音楽的な夢をお聞かせ頂けますか?

ピルキントン薫子先生 そうですね、去年CD出したから、もう一枚。今度はもうちょっとインプロビゼーションを中心としたCDを作りたいなって思う。
-なるほど。もっとライブ感があるというか。

ピルキントン薫子先生 以前あるレストランで仕事してて、「そんなにスキャットしないで下さい」とかって言われたりしました。そういうのがあるから、(去年リリースしたCDでは)スキャットはあんまりしなかったんですね。アレンジ中心で。今度は、インプロ中心でやりたいなって考えてるんですけど、まだちょっと煮詰まってないですけどね。
-まだ次作は、今は全然企画段階ですよね。

ピルキントン薫子先生 勿論。前のCDが結構、長年一緒にやってきたバンドとしての集大成みたいな感じだったんで、ずっとやってきた音楽って感じだったから。次のは、まだ企画段階ですが。
-なるほど。アメリカでプロのミュージシャンとして活躍する為の秘訣だったり、成功する条件はあるとお考えになりますか?

ピルキントン薫子先生 そうですね。でも、さっきも言ったけど、やっぱり情熱があるっていうのは一番で、成功してる人ってやっぱりビジネスマン。お客さん呼ぶとかね、そういう事がちゃんと出来る人。
-どういうきっかけで仕事に繋がったりするんですか?アメリカで。

ピルキントン薫子先生 いろんなやり方があると思うんですけど、やっぱり、例えば、ジャムセッションに行って、色々な人と出会って、ネットワークを広げて行く。それで仕事をもらっていくと。私自身の話になると、私はそこら辺のジャムセッションや、飛び入りのできるライブ等に行きまくって、知り合いを広げて行きました。今持っている人脈はほぼ、そこでできたものです。結局、仕事がもらえるって言ったら、やっぱり自分で行って、自分で歌って、名刺交換したりとかね。知り合いになって、それですよね。それしかないかな。いろんな話を聞いて、「こういう所にこれがあるよ」って情報交換して。今はもっとソーシャルネットワークを使って、広げて行けるけれど、でも結局、さっきの話に戻るけれど、劣等感があると、できませんよね。やっぱり自分はこれでいいんだっていう自分を押し出す力がないと日本人とかアメリカ人とか関係なくて、自分をしっかりと発信できる人。
-そうですね。今、ほんと動画をすぐインターネットで公開したりできるっていう便利な時代じゃないですか。

ピルキントン薫子先生 そうですね。
-やっぱりコミュニケーションだったり、そういうちょっと印象に残るっていうのは凄く重用ですね。

ピルキントン薫子先生 だからといって、上手くないからとか英語できないとか。確かに、英語はできた方がいいけど、でも、英語ができなくても、なんか押し切る人っているし。それでいいんじゃないですか。下手でもいいし、間違っててもいいから、自分のやりたいことをちゃんと伝えられるような覚悟を持った方がいいなっていうのは思いますね。
-なるほど。ありがとうございます。最後にですが、海外で勉強したいと考えてらっしゃいます読者の皆様にアドバイスをお願い致します。

ピルキントン薫子先生 自分はこれができない、あれができないっていう考えじゃなくて、私にはあれができる、これができるっていう風に、全部ポジティブな考えできてほしいですね。そして、きちんとした目的感、自分はこれでやって行こうという確信、そして、一生懸命に努力する事。
頑張って下さい!!!
-はい、ありがとうございます。今日は非常に楽しいお話ありがとうございました。
戻る