「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はアメリカ・ニューヨークでジャズギタリストとしてご活躍中の石川政実(イシカワマサミ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「音楽留学」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います。
(インタビュー:2008年3月)
ー石川政実さんプロフィールー
ジャズギタリスト石川政実
1965年東京都出身。11歳で、はじめてギターを手にし、ロック、フュージョンを経て、大学時代に、ジャズ演奏を開始。1990年、ニューヨークのニュー・スクール大学ジャズ&コンテンポラリー・ミュージック科に留学、ジム・ホール、レジー・ワークマン、ジョー・チェンバース、ジョン・バッシーリらに師事。その後、ニュー・スクール、ジャズ科のファウンダーでもあるアーニー・ローレンス・グループに起用される。自己のグループでも55バーや、アングリー・スクワイア等に出演、NYのローカル・シーンで注目される。1993年に一時帰国、自己のグループ、井上信平、岩瀬竜飛らとも首都圏のライヴ・ハウスを中心に演奏をした。2000年、再度ニューヨークにて活動を再開する。現在、ゴスペル・シンガー/ピアニストのL.D.フラジァーのグループ、ロニー・ガスペリーニのグループ、田井中福司トリオなどを中心に活動しており、2007年12月に発表されたロニー・ガスペリーニのニュー・アルバム「North Beach Blues 」(Doodlin Records www.doodlinrecords.com)における演奏が好評を博している。
— 石川さんとジャズの出会いを教えてください。
石川 大学時代にジャズ研に入り、ジャズを始めました。卒業後、1990年に趣味が高じてニューヨークに渡り、ニュー・スクール大学というジャズプログラムのある学校に入学しました。
— そこでジャズを学ばれたんですか?
石川 ニュー・スクールでは、ギターはジム・ホール、セオリーはケニー・ワーナーやギル・ゴールドスタインといった有名な先生からジャズの基本的な教育を受けました。結局、4年間のコースのうち2年間通って大学は中退しまして(笑)、その後1年間くらい、ニューヨークで演奏をしていました。学校を辞めたあとにニュー・スクールを創ったアーニー・ローレンスという人のバンドに誘われてそこで演奏しをしていたんです。その後、1993年に一度帰国しました。
— 帰国後、再度渡米されるまでどのくらい日本にいらっしゃったのですか?
石川 5、6年活動していました。演奏ではなかなか食べられなかったので、教えて生活をしているところがありましたね。
— その後、またニューヨークに?
石川 ええ、1999年にまたニューヨークに戻り、それからはこちらを拠点に活動しています。
— ニューヨークに戻られたきっかけは?
石川 実はあまり深くは考えてないんです(笑)。正直にいうとかっこ悪いんですが、女房が留学したいといったのがきっかけだったんです。当時は、だらだらとですが、教えることで生活できていたので、ニューヨークへ戻るのということは批判的な気持ちのほうが強かったんですね。ニューヨークで音楽で食べていくのは大変だし……、と思っていたので。でも、配偶者ビザが取れるということもあって、じゃあ、また行ってみるかなくらいの軽い気持ちでした。ところがニューヨークに戻ってみると、やはりこっちがいい、と思ったんです。忘れていた血が騒ぎ出したといいますか、音楽をやる気になったんです。
— ニューヨークのほうが音楽ができると思われたんですね。
石川 昔の知り合いからトラの仕事をまわしてもらって、到着2日目くらいから病院のギグなどをさせてもらいました。これがすごく楽しくて、やはりこっちでやろう、ニューヨークでやっていこう、と思いましたね。
— ところで、日本での大学は音楽の学科ではないですよね?
石川 ええ、慶応大学の法学部法律学科です。
— 優秀な大学ですよね。そのままいけばエリートになれる可能性もあったと思うんです。それでも音楽を選んだのには何かあったんですか?
石川 好きだったんでしょうね。でも、実は1年間だけサラリーマンをしたことがあるんです。大学卒業後、印刷会社に勤めました。大学卒業のときに、ジャズギターなんかで食べられるわけがないと思って、諦めて就職したんです。でも、忘れられなかったんでしょうね。それで会社を辞めたんです。
— 周りからの反対はありましたか?
石川 はははは、そうですね(笑)。でも、もともとミュージシャンになりたかったのに、親の反対もあって就職したんです。それでも働いてみたら、やっぱり無理だったんですね。
— 自分の魂が捨てられなかったんですかね?
石川 そうですね。音楽ってやっぱりそういうところがありますよね。一回やってしまうと、やめられなくなってしまう。非常に危険だと思いますよ。危険な人、いっぱい見ています(笑)。日本のミュージシャンの中にも、大学でジャズ研の盛んなところ出身の方は多いですよね。東京大学、一橋大学、早稲田大学、といったところの人もたくさんいますよね(笑)。
— そもそも石川さんは音楽への興味は大学に入る前からあったんですか?
石川 ええ。子供のときから音楽は好きでした。小学生くらいからロックを聞くのが好きで、ギターを買ってもらったのが小学5年生、11歳くらいのときです。
— ロックとジャズというのは、似て非なるものだと思うのですが、大学時代にジャズに傾倒していったのはどうしてですか?
石川 楽器を始めたのが人より早かったこともあって、うまい!なんて周りから持ち上げられてね(笑)、ギターを弾くのは好きだったので、「これを究めていこーう!」と思ったら、難しいことをしてみたいとおのずとジャズに興味を持ち始めました。それにロックだとどうしても歌の伴奏をするような形になると思うんですが、そうではなく楽器をメインにした音楽へと自然に流れていった感じです。
— 楽器をメインにしたジャンルといえば、クラシックやフラメンコなど他にもあると思うのですが、そこでジャズだったのはどうしてですか?
石川 そうですね。急にジャズを始めたわけではなくて、高校生くらいのときにインストゥルメタルのフュージョンをやり始めたんです。フュージョンというのはジャズっぽい要素もありますから、そういうのを演奏しているうちに元のジャズのほうをきちんと勉強したほうがいいかなと思ったんですね。
— アメリカでジャズをしてみて、日本と違う良い点、悪い点はありますか?
石川 ジャズの表面的なテクニックというのは、日本でも勉強出来るし、日本のミュージシャンもそうやって演奏していると思うんです。でも、アメリカに住んで、黒人の人、いわゆるオールドスクールの人たちに接することで、ジャズのルーツの部分であるブルースやゴスペルを肌で感じることができるし、黒人の人たちのライフスタイルも学んでいくことができます。
— やはりライフスタイルからなんですね。
石川 多分、そうだと思います。だから、アメリカ、特にNY以外で本当の意味でジャズを勉強するのはある意味難しいのではないかと。。表面上のテクニックは身につけることができても、ジャズ独特のフィーリング、ブルース、ソウルを身につけるっていう意味では、ここで学ぶことは幸せな事だと思います。
— やはりフィーリングがないと自分のやりたいこととは……。
石川 まったく別のものになってしまう。口ではなかなかうまく説明できないんですが、そこが重要ですよね。
— 例えば、ボストンにはバークリーなど有名な学校がありますが、そういう街ともニューヨークは違うものですか?
石川 ニューヨークにいれば、例えばそのへんにいる楽譜も読めないミュージシャンたちと一緒に演奏して肌で接して、身につけていける部分が非常に大きいんです。
— 楽譜が読めない人とでもジャズでは会話ができる、ということですね。
石川 本来のジャズは聞いて耳でとらえて演奏するという音楽だったので、そういう部分が非常に大切だと思うんです。
— ちょっと学術的な感じになってしまっているということですか?
石川 そうなんですよ。だからジャズが本来もっているエネルギーが失われつつあると思います。
— アメリカでもそういう傾向が見られるということですか?
石川 見られますね。
— どういうところに行けば、そういうソウルを感じられる演奏を見ることができますか?
石川 現在、非常に少ないと思います。ベテランのミュージシャンたちが次々と亡くなってしまっているので。だから、最近の売れている人たちの演奏を聴くよりは、ベテランの人たちの演奏を聴くのがいいと思います。日本ではあまり有名ではない人とかね。あとは、僕はまずはゴスペル・チャーチに行くことをお勧めします。
— ゴスペル・チャーチですか?
石川 そこでルーツを感じることができると思います。黒人の人しかいないようなゴスペル・チャーチに行ったら、ものすごいエネルギーを感じて、衝撃を受けると思います。ハーレムとかブルックリンとか、ブロンクスとかですね。僕はそうでした。昔のミュージシャン、例えばセロニアス・モンクにしてもゴスペル・チャーチ出身ですし、そういう人たちは根本的に違うと思います。
— ジャズミュージシャンというのは、もともとはそういう人ばかりだったんですよね。
石川 本来はそういうところから来ているものですからね。僕は、ゴスペルの人たちと演奏していて非常に厳しく教わったんですよ。“Young jazz musicians are missing something”って。彼らは演奏中に叫んでいるんです“Feel,You gotta feel more!”って。だから、上っ面で弾いたりしたら、怒鳴りつけられる。そういうのはやはり学校ではできない経験ですよね。日本でも“feeling”とか“feel”っていうけれども、なかなか本当の意味がわからなくてね。それはやはり口ではなかなか説明できないんですけれど、そういう独特の部分がジャズという音楽の力になっている。原点ですよね。
— そのフィーリングというのは、だいたいどれくらいでわかってくるものでしたか?
石川 それは……。いや、まだわかってないかもしれないですね(笑)。それは、一生をかけてどんどんどんどんより深めていかなければいけないものだと思いますし。
— 現実的なことをお聞きしたいのですが、アメリカで仕事をするときに日本人に有利な点、もしくは不利な点はありますか?
石川 普通の仕事であれば、日本人は真面目で時間に対してきちっとしているので、信頼される部分はあるかもしれません。でも、もう少し高いレベル、例えばジャズクラブで仕事をしていこうとすると、同じ実力であれば日本人であるということで偏見の目で見られることはありますよ。
— なるほど。
石川 日本人がジャズをやっているということが向こうの人にとってどういうことかといえば、アメリカ人の寿司職人のところにわざわざ食べにいくか、という話ですよ。だから、よほど実力をつけて質の高い演奏が出来なければいけないと思います。こっちでやっている日本人はみんなそうやって頑張っていると思いますね。
— 日本で頑張る以上のことを求められているわけですね。
石川 日本には日本人しかいませんからね。ニューヨークは本当にミュージシャンが多くて、世界中から集まってきていて、とにかく数が違いますから。こっちでやろうと思ったら大変ですし、とても鍛えられます。
— 石川さんにとってジャズとは何でしょうか?
石川 ジャズとはですか……、うーん、難しいですね(笑)。やはり、パッションとかそういうことになると思います。
— 身体の内にあるものということでしょうか?
石川 そうですね。学校では、いかにクリエイティブになるかという話が中心であったように思います。そういうアイデアは、ジャズを面白くするための1つの要素として取り入れるべきものですが、それだけではないと思います。
— それよりも大事なことがあると。
石川 一番大切なのはフィーリングですよね。ジャズの元をたどれば、アフリカの奴隷たちがアメリカに渡ってきて、最初はほとんどリズムだけで鼻歌を歌っていたわけです。それに西洋のハーモニーを少し取り入れて、それがだんだんと洗練されておしゃれになってきたわけです。つまり、西洋のハーモニーを取り入れたというのは、あくまで付随的なものですから、いかにクリエイティブにやったところで、クラシックの完成度にはかなうわけがないんです。即興でやっているわけですから。
— なるほど、なるほど。
石川 ですから、ジャズ特有のリズムがジャズという音楽の命、力の源になっていると思うんです。それが表現されていれば、質の高いクラシックにも負けない芸術性の高いものになると思います。だから、ジャズは根本的にクラシックと違うものとして、聴かなければいけないし、演奏しなければいけないと思っているんですよ。それがいま、世界的に誤解されているので、そこと戦っていますね。一番大切なことはそこではないということを伝えたいですよね。いかにフィーリングを感じ、こめるか、そこが大事ですよね。
— 技術的になってしまって、元の本質を忘れていってしまうということはありますよね。
石川 ええ。ジャズに限らず、フィーリングが失われているとは思いますね。やっぱり音楽というのは時代を反映しますから、デジタル〜、デジタル〜(笑)となってくると、やっぱりみんな忘れてしまうんです。フィーリングの深いところを求めなくなってしまう。iPodで音楽を聴いて、と、世の中とにかく簡単になりすぎちゃっているから、創られる音楽も演奏される音楽もそういうものになってきてしまっていると思います。そこにいかに立ち向かうかというのが僕の使命だと思っています。
— 石川さんはそういった想いで演奏されていて、やはりお客さんの反応は違うと思いますか?
石川 やはりぜんぜん違うと思いますよ。先月も日本に帰って三重県で演奏したのですが、すごく喜んでもらえたと思います。ジャズを余り聞いたことがない多世代の人達が手拍子をしてくれてね。ドラムの人は田井中さんといって、もうこっちで25年くらい黒人の中にまじって演奏してきた人なんですが、その人がまたみんなにわかりやすい、みんなが感じられる演奏をするんですよ。それはジャズを知っているとかではないんですね。知らなくても聴けば分かることなんですよ。
— 知っているかどうかなんて関係ないんですね。
石川 ええ。そこで、もし上っ面の演奏をしていたら、ジャズって難しいんだな、ふーん、で終わってしまうと思うんですよ。コードとかアイデアとか、アルペジオとかね(笑)。そうすると、みんなやっぱり聴かなくなってしまいますよね。
— そうですね、クラシックを聴いているのと、同じ感じになってしまいますもんね。
石川 かといって、本物のクラシックのような完成度はない。中途半端な音楽になってしまう。力の弱いものになってしまうんですよ。
— 本来はもっともっと力強い土着の音楽だったのに。
石川 ええ、みんなが感じられる。それが私の目指すところです。みんなをハッピーにすることが私の目標です。
— 次に音楽的な目標を聞かせてください、と言おうとしたんですが、今ので十分ですね。
石川 そうです、そうです(笑)。そういうことです。
— アメリカでプロの音楽家として活躍する秘訣、成功する条件はなんでしょうか。
石川 これは、成功してないだけに難しいですね(笑)。最近痛感していることは、ビジネスといい音楽をするっていうことは、まったく別のことだなということです。別の才能がいるんです。例えば同じミュージシャンでも、メールやホームページの更新にやたらと時間をかけたり、電話をかけることに命をかけたりと一生懸命売り込んでいる人がいます。僕自身、本当はそういうことにも時間をかけなければいけないんだろうけど、やっぱりそれよりも音楽のことを考えたり、楽器の練習に時間をかけてしまいますね。でも、一生懸命やっていれば、最低限の仕事は入ってきますよ。それは成功とは言えないかもしれませんが(笑)。
— きちんと音楽で食べていけるということですよね。でも、そこが難しいところですよね。
石川 そうですね。やっぱりニューヨークは厳しいと思います。人に呼ばれて演奏することが多いんですが、やはり自分がバックアップに入ったからよくなったっていう状態にしないと、次に仕事は来ませんよね。様々なスタイルの人たちを上手に伴奏することは、経験も必要だし、非常に難しい。だから、僕はひたすら練習して、いい演奏ができるようにしていますね。
— 最後にジャズを勉強したい人やニューヨークに行きたい人にアドバイスをお願いします。
石川 いままでのことと重なるんですが、あまり理論にこだわらないことです。例えば、音を間違ったなんて気にすることないんです。ジャズはクラシックと違って、そういう音楽ではないんですよ。基本的にジャズに間違ったことなんてない。それよりももっと大切なフィーリングをつかんでほしいと思います。
— それはやはりニューヨークに行って、感じたことですか?
石川 そうですね、オールドスクールの方から得るものが大きかったです。レコードを聴くにしても、さかのぼって昔のジャズやブルース、ゴスペルを聴いて参考にしたほうが、いまの難しいことをやっているものを聴くよりは、いい結果が得られると思います。
— 今日は本当にありがとうございました。